徳川家の後継者秀忠に完勝した真田昌幸と信繁。
しかし、関ケ原の戦いで石田三成が敗戦することで状況は一変します。
戦いに勝って城と領地を失う昌幸と信繁。
真田丸37話信之の感想を書きます。
家康は武権を確立します。
東軍の信幸は義父の本多忠勝にフォローされながら、昌幸と信繁の助命を家康に懇願します。
家康は昌幸と信繁の死を免じる一方、真田家の諱である幸を名前から取るように信之に命じました。
小早川秀秋は関ケ原の戦いで裏切りを敢行します。
彼の行動は関ケ原前から不透明で西軍の根拠地大垣城にも入らずに松尾山に陣取りました。
そして突如、東軍に寝返って裏切りを敢行します。
しかし、この裏切りにあらかじめ備えていた信繁の妻はるの父大谷刑部吉継。
小早川軍は500mも押し戻されましたが、別の裏切りが発生し、西軍は崩壊しました。
彼はこの2年後に21歳で若死にします。
それも西軍の亡霊に呪い殺されたといわれています。
昌幸と信繁は高野山の麓の九度山に蟄居を命じられます。
真田丸37話信之では多くの人の関ケ原後が紹介されていました。
特に敗者の物語を多く紹介されていました。
真田丸37話信之の感想を書きます。
信幸は父と兄の投機性のような強いお茶目な面を本来は持っていたでしょう。
しかし、彼は真田家を残すことに全力をかけました。
これは彼がキャリアで培ってきた考えです。
戦乱の世、大名たちの考え方は子孫繁栄と先祖供養を第一に考えます。
子孫が繁栄しなければ先祖供養はできません。
信之をフォローした本多忠勝は地味な徳川軍団にあって珍しく知名度の高い武将でした。
彼は弱冠20代から合戦師としての名声を持っていました。
年上の家康も忠勝のいうことならばと何度も採用して作戦を成功させてきました。
著名な話は武田との合戦における大井川の退却です。
そして、実は本多忠勝は信之に惚れ込んで娘を嫁がせたといわれています。
信之は地味ですが、そのように当時から評価が高かったのでしょう。
真田丸37話信之の感想を書きました。