大坂で微妙な立場に立ちつつある信繁。
大河ドラマ 真田丸 16話は着々と秀吉の天下が固まる中で真田家の微妙な立場が紹介されています。
平野長泰が出てきました。彼は奈良の田原本の町を作った人ですね。
彼には面白い逸話があるのですが、あまり関係がなさそうなので、省略します。
片桐且元も平野長泰も柴田勝家との戦いにおいて活躍した賤ヶ岳七本槍の2名ですね。
賤ヶ岳七本槍には加藤清正や福島正則もいました。
その7本槍の7人は出世のスピードが違いました。
ちなみにドラマ終了後に清正の育った愛知県津島の紹介がありました。
平野長泰も実はこの津島の出身だといわれています。田原本には津島神社がありますね。
片桐且元も平野長泰も元同僚にも関わらず、身分に差ができている滑稽さを描いていました。
しかし、福島正則や加藤清正はもっと出世をしていました。
そして千利休が出てきました。
私は表千家の門人なので、利休という人は聖人のような人です。
しかし、このドラマでは嫌な人の雰囲気が出ていますね。
九州征伐の話が出てきました。
当時、戦国大名の生き残りとして、大友宗麟がいました。
大友宗麟は島津の猛攻に耐えかねて、秀吉に臣下します。
その時に秀吉は宗麟にこのような言葉を残しています。
「外のことは秀長に、なかのことは利休に」。
秀吉の弟、秀長と千利休のこの当時の権力を物語っています。
石田三成や大谷吉継は戦争よりも内政に力を入れています。
秀吉が九州平定に動員した兵隊は20万人を越えました。
20万人も遠征します。
その兵隊の輸送の舟の手配、食糧の手配などを三成などが行ったそうです。
その処理の正確さは秀吉の天下統一に大きく貢献したでしょう。
一方、茶々の存在が際立っています。
茶々は後に淀君と呼ばれ、豊臣家に君臨します。
後に大坂の陣における豊臣方の事実上、最高責任者となる茶々と信繁の関係は大阪の陣においては険悪だったはずです。
画像は茶々、後の淀君が寄進したといわれている大坂住吉神社の太鼓橋です。
そして秀長が登場します。
秀長は天下の副将軍です。秀吉の功績の3分の1ぐらいは秀長の力だったでしょう。
秀長は後に奈良・和歌山で100万石の領地を治めます。
大和大納言秀長ですね。
秀長は中世奈良の権力者だった南都の大寺の領地を徹底的に削ったといわれています。
そして、徳川の方に場面が変わりました。
本多忠勝の娘が出てきました。
この娘もまた、真田丸の大事な登場人物です。
なんと、この本多忠勝の娘は真田信幸の娘になります。
徳川家の重臣の娘を長男の嫁にもらう。
これは重大な意味があります。
昌幸は実は家康と講和をするときに縁組まで行ったんですね。
徳川は第一次上田合戦の際に真田に負けています。
家康らしいです。真田を高く評価したんですね。
家康は物学びのできる人物でした。こうやって敗戦しながらも学び・相手を吸収していきます。
信長であれば根絶やしにします・・・。
ここに面白い話があります。
昌幸は当初、本多忠勝の娘を信幸の嫁にもらうことを拒否しました。
理由は、真田は小さいながらも大名であり、大名の家来の娘はもらえないと拒否しました。
家康は仕方なく、忠勝の娘を自分の養女として真田家に嫁がせます。
忠勝の娘への甘い雰囲気がとても親子っぽくてよかったですね。
そして、真田討伐という話になっていきますが、これは次回ですね。
真田丸16話表裏の感想を書きました。