高校を卒業した後、大阪の服飾の専門学校に進学しました。
いつかはフランスで服飾の仕事がしたい。
そう思って高校2年生から日仏学館に通いフランス語を勉強しました。
しかし、服飾の専門学校は実質2か月ぐらいしか通いませんでした。
全く素人でした。
自分は細かい仕事は向かないなと思いました。
物事への見通しや分析をしない自分のミスです。
目的意識は強い。それは今でもそうです。
しかし、実務となるとからっきしだめでした。
6月の中旬にはもう学校に行っていませんでした。
そして夏を迎えます。
親は心配します。
そこである人にも今後の相談をしてみなさいといわれました。
私は基本的には本から考えや生き方を学びました。
それ以外にも少数ですが、物事を教えてくれた人がいました。
そのうちの1人に佐賀県武雄の染色家がいました。
小学生の頃、父が私にこんなことをいっていました。
「今に緒方さんは人間国宝になる」と。
緒方義彦。その染色家です。
この人は貧困に喘ぎながらも天然染料の採集にこだわります。
そしてその優しいデザインは多くの人を癒しの空間に誘います。
高校2年生の冬に私は初めて緒方さんの工房に行きました。
緒方さんはデザインについて熱く語ってくれました。
さて、夏の3日間、武雄の緒方さん宅に行くことになりました。
初日は佐賀市内の緒方さんの親の家の片付けを手伝いました。
その日の夜は寝苦しかったのを覚えています。
2日目は工房に佐賀市内のケーキ店の御一行が来ました。
そして長崎県の生月島にいくことになりました。
生月島とは東シナ海に浮かぶ隠れ切支丹の島です。
断崖の上から大海を望む場所が緒方さんのお気に入りです。
生月でサンドイッチなどを食べることになりました。
武雄から生月島は遠く、2時間もかかります。
車に酔ったのを覚えています。
ケーキ屋さんの一行は7名ぐらいでした。
その中に3人家族がいました。
若い夫婦とまだ言葉が出ないくらいの女の子と。
その時なぜか、この小さな女の子が私にばかり近づいてきます。
今でも何故か不思議に思える体験でした。
染色家は自然との会話で仕事をする。
緒方さんはよくそういっています。
東シナ海の夕焼けを見て緒方さんが言った言葉が忘れられません。
「あの大空の夕焼けを染色したいんだけど、空は染められない。」
「だからそれを別の物で表現する。だから本物ではない。」
「それを本物に見せたい。その為に仕事をしている」と。
帰りは覚えていません。
多分、疲れて寝ていたのだろうなと。
武雄には大きな楠木があります。
川古の大楠。
緒方さんはここの楠木が好きで2回も楠を見に行きました。
ここには地元の人のユーモアなのか、面白い石碑があります。
その碑はわざとななめに建てられています。
四方のうち、1方には天照大神と書いてあります。
別の1方には大己貴命(大国主命)と書いてありました。
古代神話の国譲り。
これは和解か、抹殺かと、いわれています。
天照大神が大国主命を追い詰めました。
その2柱の神様が一つの石碑に並んでいました。
武雄は神功皇后と武内宿禰の三韓征伐の謂れのある地域です。
また、神功皇后は大己貴命を全国に祀ったといわれています。
こんな説があります。
神功皇后とその皇子応神天皇は天照大神とは別系統の家だった。
その説を取ればこうなります。
神功皇后が前時代に忌まれていた大己貴命を新たな価値観として祀った。
武雄の大楠の前にある碑は仲直りの石碑だったのでしょうか。
それが武雄にあることがとてもユーモラスですね。
その後、9月には正式に専門学校を辞めました。
それから、今行っている事業に向って行きます。
佐賀での3日間が私の人生を劇的に変えたわけではありません。
しかし、そこに行かずに何にもしない3日間を過ごしたかもしれない。
そう思うと、とても有意義だったと思います。
現在、32歳。
11,680日間も生きています。
その日数の中に何日間、覚えている日があるのでしょうか。
また、落ち着けば武雄に行こうと思います。