今日は奈良で見つけた伝統行事、田の虫送りと農村社会について書きます。
最後までお付き合いください。
日本の社会はかつては農耕社会でした。
江戸期は日本人のほとんどが農業を主としていたでしょう。
農業とは自然との共生が欠かせません。
そして、現在は農薬の普及で農業は少し効率があがっていると言えるでしょう。
しかし、農薬が普及したのは戦後の話になります。
それまでの日本の社会は主食であるお米を作ることに精魂込めていました。
江戸時代、日本の物の価値の中心はお米でした。
そのお米を生産するためにはさまざまな苦労がありました。
中でもお米を直接食べる稲虫には農家はとても手間取っていました。
ちょっと調べてみましたが、こんなことがかつてあったそうです。
源平合戦に斎藤実盛という人物が出てきます。
彼は平家の侍として戦争に出ますが、源氏の大将の木曽義仲とは因縁がありました。
実盛はかつて殺されそうになった義仲を背負って関東まで落ち延びたと言われています。
そんな恩人を木曽義仲は戦いの際に攻撃して失ってしまいます。
その実盛が討たれる時、馬が稲の切株につまずいたそうです。
それがもとで実盛は戦死します。
そして、実盛は稲虫になったという話です。
実盛が可哀そうですね・・・。
さて、6月に入ると、昔から農村部では虫よけのお祭りが行われてきました。
それを虫送りと言います。
奈良の山間部では今でも虫送りが行われています。
小倉町では「田の虫送り」が行われています。
弊社のカメラマンが撮影した画像と一緒に田の虫送りを紹介します。
6月の風物詩です。
松明を持って村内を回ります。
松明が危ないということで廃止になった地域もあるそうです。
私は火遊びが好きだったので、松明など持たせてもらえばウキウキしていたでしょう・・・。
私の地元の太宰府市では思い出す限り、こういった行事はなかったです。
篝火です。
虫はこの時期よく飛び回ります。
そして明るい場所に向けて飛んでいきます。
そういうポイントからもこの時期に火を使うのでしょう。
みなさんの地域では6月に虫送りは残っていますか。
こういった行事は実際の目的以上に地域の交流としての価値が高いのではないかと思います。
日本の伝統行事、大事にしたいですね。