地域活性局

藤丸正明

真田丸の伊達政宗を紹介します。


2016-06-18 18.12.21

大河ドラマ真田丸では北条氏が滅び、東国平定が完成したことで天下統一が完成します。

そして、この時代の大河ドラマの多くに登場する人物。

真田丸に登場する伊達政宗。

真田丸と伊達政宗。

まず、真田信繁と伊達政宗は1567年生まれです(信繁には1570年説もあります)。

彼は山形県米沢市に生まれます。

そして1584年に16歳で父輝宗の隠居に伴って17代当主となります。

そして17歳にして、父を失い、東西南北すべてに敵を作りながらも勢力を拡大します。

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この頃、政宗の最大のライバルは茨城の佐竹義重でした。

佐竹義重は茨城のほぼ全土を影響下に置き、栃木にも絶大な影響力を持っていました。

そして、北条氏と敵対していたため、早くから豊臣秀吉との関係を強化していました。

政宗は佐竹の敵は仲間ということで北条と手を結びます。

そして、秀吉の発した惣無事令を無視します。

佐竹義重はこの惣無事令を守ったことにより、戦争を辞めてしまいます。

政宗は会津の芦名氏を滅ぼしたことが彼の勢力圏を大きくします。

その結果、政宗の周辺の敵で佐竹を頼っていた勢力は政宗に降伏します。

そして政宗は東北の中央部分をほぼ制覇することに成功しました。

しかし、ここで秀吉の小田原征伐が始まります。

近隣を制圧したばかりの政宗にとって、領土の安定が重要で、北条の応援に行けませんでした。

政宗は秀吉への降伏し、父から受け継いだ領地以外は没収されます。

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真田丸の伊達政宗はこれ以降の話が中心となるでしょう。

彼は大坂の陣では1万の兵隊を連れて参陣します。

彼の部隊には有名な騎馬鉄砲隊がいます。

騎馬のスピードで鉄砲を打ちかけます。

大坂夏の陣では、真田信繁と伊達政宗が戦うことになります。

ここでは信繁はこの騎馬鉄砲隊への対策を編み出し、撃退します。

真田丸でも伊達政宗が撃退されるシーンは出てくると思います。

さらに、「真田丸での伊達政宗」に関連するシーンがあります。

信繁の娘はこの合戦の夜に、信繁の指示で伊達の陣へ向かいます。

伊達家の重臣片倉重長はちょうど伊達家の先頭に陣がありました。

そこで、信繁の娘に出会います。

そして信繁最後の日を迎えます。

信繁の活躍は凄まじく、日本一のつわものと呼ばれます。

徳川方の多くの武将は信繁の遺体から髪を1本ずつもらい持って帰ったそうです。

戦後、信繁の娘と、片倉重長は結婚しました。

信繁の血は仙台に残りました。

伊達政宗は徳川から真田をかばい尽くしました。

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