1457年、京都は応仁の乱の最中でした。
この時、西軍が陣を置いた場所が西陣の地名の由来です。
西陣観光に西陣織渡文とおすすめグルメ天ぷら天喜を観光しました。
西陣は応仁の乱後に織物で栄える
西陣は応仁の乱後、西陣織の町として栄えます。
西陣織は高級衣類として日本人の憧れとなっていきました。
また、京都のデザインなどの観点からも最先端だったのでしょう。
そんな西陣を歩きました。
西陣観光に西陣織の帯の老舗渡文の織成館
訪れたのは西陣の帯屋渡文。
明治時代創業の帯屋渡文は現在、社長が西陣織の組合の理事長を兼務されています。
京都の産業といえば、現在は京セラや堀場製作所なども存在します。
しかし、明治期などはこの繊維産業がとてもよかったんですね。
渡文の社長は京都の産業界の世話役として80以上の肩書を持っています。
京都中小企業団体中央会の会長も歴任されています。
さて、渡文は西陣の石畳の通りの中心にあります。
この通りは浄福寺通りといいます。
一度、京都の観光ポスター「そうだ京都に行こう」で西陣の風景がポスターとなっていました。
夏の撮影だったそうですが、冬の雰囲気にするためにドライアイスなども使ったそうです。
JR東海の宣伝はやはり予算がかかっています。
実は、渡文さんと知り合う前にこのポスターを見ていました。
私の将来の夢の一つにはファッションでまちづくりという夢があります。
繊維の世界は明治以降、私の先祖が携わってきた世界でもあります。
渡文さんとの出会いは、お茶の世界です。
実家に渡文の社長の奥様が訪ねてきていただいてからのお付き合いです。
渡文の渡辺隆夫社長は、京都の街中で最もはやくまちづくりに取り組んだ人の一人です。
それでも、祇園などの方が馬券売り場の収益などもあって、動きが速かったなと言われていました。
私は、京都に大事な用事があった時など、その後ホッとした際に必ず西陣が思い浮かびます。
そしてちょっと挨拶がてら顔を出して、帰ってきます。
西陣は観光を目指す産業の町
西陣は、産業の町で、基本は物を製造しています。
販売は全国の取引先が店舗や得意先回りで販売されています。
なので、人が来る場所ではありません。
しかし、優秀な産業はその知名度を生かして産業地の観光地化を進めます。
産業地が観光地になるポイントは製造+卸から製造から販売に発展することでしょう。
生産者は直に消費者の話を聞くことができるようになります。
そのうえで、西陣が成長するための条件とは。
それは西陣織という高級品には客層が明確に存在することです。
その客層を強く意識して観光化を進めなければかえって産業を衰退させます。
京都を歩く観光客のうち、西陣の客層はどのあたりになるのか。
そんなことを考えなければならないですね。
西陣は今、産業地と観光地の両立を目指しているようです。
私が西陣が好きなところは、町を歩くと機械の音が聞こえてくるところです。
奈良県吉野町の丹治も材木をカットする音が聞こえてくる町です。
音。それは産業を持つ地域の強みでもありますね。
渡文の客間です。
素敵な空間ですね。
西陣のグルメは天ぷら天喜がおすすめ
そして、西陣の天ぷら天喜に足を運びました。
西陣から西へ9分。
天ぷらがメインのお店ですが天ぷらを撮影するのを忘れていました。
美味しい琵琶湖の鮎をいただきました。
天喜はカウンターでいただきましたが、とても掃除の行き届いたキッチンでした。
京都の町は、どこに行っても素敵な日本料理店が存在します。
西陣石畳と天喜の天ぷら。
訪ねてみてください。
西陣観光に西陣織の渡文とおすすめのグルメ天ぷら天喜を紹介しました。