地域活性局

藤丸正明

太平洋戦争の記憶。先取に驕った日本軍と対策を充実させたアメリカ軍


日本人の記憶にある最も新しい自国の戦争。

太平洋戦争。

そこには日本人を考えるうえで多くのヒントが眠っています。

太平洋戦争の記憶。

今回は先取に驕った日本軍と対策を充実させたアメリカ軍の話を書きます。

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1945年12月8日。日本は真珠湾奇襲を行いました。

これはアメリカという大国との戦いの序章に過ぎませんでした。

それから、破竹の勢いで、東南アジアに侵略していきました。

しかし。

1942年8月。 早くもアメリカは反転攻勢を仕掛けるべく動き始めました。

ガダルカナル島。

ここは、オーストラリアの北北東に位置する島です。

日本軍はそこを占領し、ここに航空基地を建設していました。

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アメリカ軍は1942年12月から日本軍の機械等への研究を進めていました。

当時、日本が誇った戦闘機・零戦・。

開戦当時、最新鋭の飛行機でした。

アメリカは零戦を研究したうえで、上昇力などが上回る飛行機を開発しました。

新型航空機グラマン。

アメリカの計算では一人のパイロットには2年の歳月と二億円の予算が必要でした。

そのパイロットを失うことは非常に大きな損害になる。

アメリカはその損失を失わないために、グラマンには防御用の装備を十分に配備しました。

それに対して、日本は突撃を続けるあまり、航空隊の質は終戦まで低下を続けました。

 

反転攻勢をガダルカナル島奪取からと考えたアメリカ。

 

日本は1942年6月にはミッドウェー海戦でアメリカに大敗北を喫しています。

そして、1942年8月、アメリカの反転攻勢が始まりました。

当時、ガダルカナル島には飛行場の設営部隊しかいなかったため、簡単に占領されました。

ガダルカナルを占領された日本軍。

大本営の参謀本部では島の位置も知らなかったそうです。

陸軍はガダルカナル島という島の存在を知らなかった。

そしてあれは海軍の担当だから、という感じでした。

当時、陸軍は蒋介石を屈服させるための重慶に100万人の兵隊を派遣していました。

それに対して、ニューギニアとガダルカナルには合わせて1万人しか配備していませんでした。

 

日本軍もガダルカナル島奪取に向けて動き出します。

1万人のアメリカ軍(第一海兵師団)に対して陸軍は一木支隊916人を派遣しました。

敵を2.3000人と見ていたそうです。

そして、一木支隊のほとんどがアメリカ軍に不安を持ちませんでした。

一木支隊は夜襲を仕掛けます。

しかし、朝になると916名のうち、実に777名が戦死。死亡率85%。

その後も、日本の攻撃の戦果はほとんど上がりませんでした。

ガダルカナル島の戦いは物量の差も圧倒的で日本が敗北し、撤退します。

食料補給ができない海軍。

ガダルカナル島は餓死する島 餓島と揶揄されたそうです。

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日本がアメリカを侮っていた理由があります。

大本営参謀・辻政信を中心に兵隊に向けて書かれた本があります。

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本の名前は「これだけ読めば戦は勝てる」。

アメリカに対する内容は以下の通りです。

アメリカの兵隊はいい加減で軍事精神が入っていないから敵ではない。

アメリカ兵隊は中国兵よりも弱い。

武器があってもそれを使う兵隊は弱いから役には立たない。

あるアメリカの情報将校によるとアメリカでは日本は真珠湾・マレー攻略戦以降、日本兵のイメージが変わります。
日本人はジャングルで生まれ育っている。

世界一タフなジャングル戦士。

スーパーマンだなどといわれるようになった。

 

 

侮る日本人、相手を調べ上げるアメリカ人。

そういった当時のお国柄も戦争という行為の中で現れていくのがわかった気がしました。

私の祖父もその本を読んだのだろうと思うと、なんとも言えない気持ちになります。

太平洋戦争の記憶。先取に驕りをもった日本軍と対策を充実させたアメリカ軍の話でした。

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