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奈良市長仲川げん氏の12年を語る・奈良ひとまち大学・

奈良

奈良市長仲川げん氏の12年を語る。

今回は第5回目になります。
仲川市長は若者の活躍を自らのテーマに掲げていました。
その最初の事業が、後の奈良ひとまち大学でした。

奈良市長仲川げん氏の12年を語る・奈良ひとまち大学を紹介します。

シブヤ大学の話

東京に講座事業を行っているNPO法人シブヤ大学があります。
当時、奈良県立図書情報館が仕事を考える3日間というイベントを主催していました。
そのイベントにはシブヤ大学からも参加するツアーみたいなのがありました。
2007年のそのイベントの開催において仲川げん氏は奈良NPOセンターとして協力していたそうです。
図書情報館に弁当を持って行ったり宿泊の手配をしたり。

2008、09年とその手伝いは仲川げん氏から私のところに回ってきました。
2009年の秋頃にあった際には、シブヤ大学の担当者からこんなことを言われました。
「このイベントに協力する人は偉くなりますよ」
それほど周囲の人から見るとこのNPO法人の事務局長が市長になることが珍しかったのでしょう。
政治に関しては信念がある私としてはちょっと嫌だったのを覚えています。

仲川市長はNPOの活動の際に、このような若い人の団体に多く出会ったのでしょう。
それが奈良市の事業としてコピーしたような内容が事業化されることになります。

若者が集まるイベントをしたい

そんな奈良市長仲川げん氏から連絡があったのが当選間もない2009年8月だったと思います。
若者が奈良を拠点に活動できるような団体を作りたいと。
今考えると、市長の構想にはシブヤ大学があったのだと思います。
しかし、当時はよくわからずに会議に呼ばれました。

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奈良NPOセンター時代のなれ合いの人間関係

奈良市長になった仲川げん氏は2002年からNPOセンターに勤務していたそうです。
それから2009年の選挙まで足掛け7年程在職したことになります。

その在職7年の間にはさまざまな団体と交流があったのでしょう。
新事業の会議メンバーは、奈良市生涯学習財団の若い職員がメインでした。
その会議に呼ばれた際、自分だけが新入りのような雰囲気でした。

時間を守れない人たちの会議が続く

1回目の会議は市長室だったと思います。
そして2回目はならまちでしたいという市長の意向を受け私が場所を探しました。
場所は御霊神社にほど近いK氏の邸宅。

17時から1時間ほど場所を借りて会議をする予定でした。
K氏の奥さまも気を使ってコーヒーなど出してくださいました。
しかしこの会議がまったく終わらず、21時を過ぎたのでさすがにストップをかけました。
帰りがけにがっかりしたのを覚えています。
そのメンバーたちはそんなこと全く気にしていません。

奈良市の為に(奉仕)ありがとう

私はこの頃から、市長は物事をボランティアで賄おうとする癖があることを感じていました。
市長や奈良市生涯学習財団の職員は給料があり、その空いた時間で動いています。
私ともう一人の若者は事業者であり、自ら稼いだお金で生活しています。
時間の考え方や使い方が全く違うんですね。

そして市長はいつも奈良市のためにありがとうと言います。
この当時、まだ会社は軌道に乗っておらず、これが非常にしんどかったのを覚えています。

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部署を飛び越えた市長の肝入り事業

この後に奈良ひとまち大学として発足した事業はその途中に不安になる事が多々ありました。

まずは、奈良市生涯学習財団の職員が市長のことを「げんちゃん」と呼んでいたこと。
もう一つは部署を飛び越えた越権行為です。

生涯学習財団の職員が市役所の担当部署に資料を提出しても、それがすぐに進まないことがありました。
その場合、生涯学習財団の職員が「げんちゃんどうにかして」と会議の時に言います。

市長は市長で市職員が動かない知識が足りない勉強ができないと決めつけています。
それで担当部署を呼び出して、進捗を聞き出します。

奈良市役所の体質や体制に問題があるというのは薄々感じていました。
しかし、市長を外郭団体の職員がちゃん付けで呼び、越権行為を進めて事業化を目指す。

そのやり方に疑問や怒りが沸き上がり、会議の座長を務めていたS氏の抗議のメールを送りました。

市民が選んだ市長に「ちゃん付け」は市民への侮辱ではないかと。
そんな会議に参加し続けたくないので、次から参加しないと。

その半年後ぐらいにその団体の発足が決まったとそのS氏から報告がありました。
そして、その奈良ひとまち大学の学長になってくれないかという話でした。
市長が考えてやったことは市長が責任をもってやるべきですね。
そう返事をしてお断りをしました。

今でも奈良ひとまち大学は活動を続けています。

市長のお気に入りと目の敵

奈良市生涯学習財団は奈良市からの予算が確保されやすい傾向があるそうです。
私が頼りにしていたならまち振興財団が解体されたこととは雲泥の差です。
ならまち振興財団は真面目に事業を行っていました。
市長になれば、市長と呼び、越権行為することなく予算案を出していました。

若い人が市長をやると、このような慣習はルールが簡単に破られることを知りました。

奈良市長仲川げん氏の12年間を語る・第5回目は奈良ひとまち大学についてでした。
第6回目は奈良市長仲川げん氏の人事に関することを書こうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

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