奈良市長仲川げん氏の12年を語る。
第9回目になりました。
エールをいただいてやる気が続いています。
今回は若き市長の誕生で若い世代はどうなったのかを書きたいと思います。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・刺激を受けた若者たちを紹介します。
33歳5か月の若き市長の誕生が脚光を浴びる
民主党の風。
チェンジという風を背景に仲川げん氏が奈良市長に当選します。
この衝撃は、奈良は松永弾正の大和侵攻以来だったかもしれません。
奈良の歴史が始まって以来の「若者ブーム」到来だったかもしれません。
私も奈良で数少ない学生起業出身として市長と共に、メディアに取り上げられました。
このメディアでの露出は思わぬ効果を多く生みます。
若い人が私のところに続々と訪ねてくるようになりました。
防戦一方の仲川げん奈良市長に集まる同情と悲憤の声
一方で、市長は議会と予算の件で防戦一方となります。
市長は議員経験もなく、予算についても素人同然だったそうです。
当時、新聞記事などを見ながら、私は義憤というか悲憤というかそんな気持ちでした。
それは、市民が選んだ市長に議会が猛攻をかけている印象だったからです。
また、私は市議は当時2名の方と知り合ったばかりでした。
身近だったのは携帯でやり取りできる市長1人でした。
若い人が社会に出ても、このように大多数の大人から集中砲火を浴びる。
それを解決しなければ、若い人はだめだったで終わってしまう。
そう考えた私は、訪ねて来てくれてた何人かの人に声をかけて団体を作ろうと思いました。
話をしてみると、ほとんどの同世代の若者が賛同してくれました。
若い市長と共にある若者の団体奈良東京2030年会
2012年8月。
20人程の若者が集まり、奈良東京2030年会の設立が決まりました。
奈良在住者と奈良出身東京在住者が連携して奈良の活性化に取り組みます。
この団体に集った人のうち、政治に関心を持つ人間はそちらに走っていくようになります。
仲川市長はこの団体の年末のパーティーに参加。
次年度の2013年7月の市長選を見越しての行動でした。
私もその頃には、なんとかこの人を再選させなければという気持ちを持っていました。
奈良市長仲川げん氏の12年、刺激を受けた若者たちを紹介しました。
次回は第10回目。
刺激を受けて集まった若者たちを何人か紹介しようと思います。