奈良市長仲川げん氏の12年を語る。
第10回目となりました。
沢山のエール、ありがとうございます。
今回は若き市長の誕生で若者はどうなったのかを書きます。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・奮起する若者の政治意欲を紹介します。
奈良NPOセンター元職員の紹介で訪ねてきたO氏
仲川げん氏が奈良市長になった2009年7月。
私はその後も暫く奈良NPOセンターと交流がありました。
たしか、2009年の冬、一通のメールが来ます。
NPOセンターの元職員の紹介と前書きされた東京在住の川西町出身のO氏からでした。
東京で仕事をしているが奈良の為に何かをしたいという内容でした。
当時、多くのメールや訪問を受けていました。
メディアの露出が多かったことが原因で、私個人は何か成長したわけでもなく。
不思議な“モテキ”だった気がします。
不動産開発会社勤務のO氏は昭和57年生まれの私の一つ上の知的な青年でした。
O氏と親しくなったことは私にはとても大きな出来事でした。
O氏奈良女子大学付属中高出身で、県内に多くの友人知人がいました。
ちなみに私は福岡出身なので、そういう友人はほとんど奈良にいません。
O氏は立ち上げた奈良東京2030年会の共同代表になっていただきました。
東京事務所に訪ねてきた中川崇氏
私は当時、東京に事務所があり、月に1度、奈良の物産展を行ったりしていました。
すると東京在住の奈良人が訪ねて来てくれます。
そこに訪ねてきたのが中川崇氏でした。
東大寺学園中高、京都大学出身、ハテナという会社の社員でした。
年齢は私の一つ下で、御所市出身。
即断する商売人の次男の私とは違い、熟考タイプ。
静かに志を持つような印象でした。
名古屋在住の塾講師のT氏
上記O氏の知り合いとして、訪ねてきたT氏。
彼は出身がならまちであり、年齢は私の2つ上。
いつか奈良に帰ってきたいと。
明るく元気で正義感もあり、何より人前で話し慣れている感じでした。
曖昧な記憶ですが、2012年8月の奈良東京2030年会の設立総会に初参加。
そして年末にお会いし、奈良に戻ってくる決意を聞きました。
仕事は3月まで。その後は何しようかと悩んでいるようでした。
O氏の知り合いの知り合いOK氏
(O氏が二人出てくるのでOK氏として書きます。)
O氏の知り合いで8月の奈良東京2030年会に参加してくれた女性がいました。
その方から奈良で活動をしたい若者を紹介したいと連絡がありました。
当時、人に会うのを避けていましたが、魔が差したように会います。
場所はならまちの居酒屋“蔵”。
その時は和やかな会話に終始し、あまり印象が残りませんでした。
奈良市出身、関西学院大学出身で食品メーカー勤務。
年齢はたしか私の一つ上だったと思います。
この頃、議員について勉強しようという企画を考えました。
奈良市議会議員のY氏・宇陀市議会議員のK氏に参加を依頼してイベントを行いました。
このお二方が議員の仕事を説明してくださいます。
その時にこのOK氏を誘いました。
その時、そのK氏にOK氏が噛みつきます。
その情熱的な姿がとてもよかったので、仲間にスカウトしようと思いました。
他にも自営業の友人も5人ほどでき、紹介したいのですがここでは割愛します。
東京在住のO氏を除く3名、中川崇氏、塾講師のT氏、OK氏。
このメンバーが2013年7月の仲川げん奈良市長の選挙に大きくかかわってきます。
メンバーのその後
結論だけ書いておきます。
川西町出身のO氏は、今年の川西町長選挙に出馬します。
中川崇氏は奈良県議会議員選挙に2度当選し、2021年7月の奈良市長選挙に立候補。
塾講師のT氏は、その後西大和学園の教師の後、奈良市役所に勤務。
OK氏は2017年、2021年の奈良市議会議員選挙に挑戦。
彼等の政治意欲を掻き立てたのは、仲川げん氏の存在があったでしょう。
その彼らは紆余曲折を経ながら政治の道を志していきます。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・奮起する若者の政治意欲について書きました。
次回は第11回です。
2013年、空前の大混戦の奈良市長選挙を3つほどに分けて紹介していきます。