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奈良市長仲川げん氏の12年を語る・2013年大混戦の奈良市長選挙その1

奈良

奈良市長仲川げん氏の12年を語る。

今回は第11回目になります。
今回は3回に分けて2013年の奈良市長選挙について書きます。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・2013年大混戦の奈良市長選挙その1を紹介します。

 

 

 

四面楚歌、窮鼠噛む猫もいない状況の仲川市長

2009年民主党の風に乗って当選した仲川げん奈良市長。
しかし、始めの4年は、果たして4年も持つのかというような危機の連続でした。

当初、関りは限定的でした。
しかし、2012年2月に私の会社の創業5周年パーティーがありました。
その際に、ならまちの多くの方が集まってくださいました。
そこに出席してくださってから仲川市長は何かと親密になっていったのを覚えています。

 

若者の橋頭保仲川げん奈良市長

若者の多くは政治には無関心です。
それは世代として政治的無知に繋がるでしょう。

市長とは単なる有名人に過ぎません。

しかし、私は、若き市長と若手起業家としてセットでの紹介が多かったです。
そこでその若き市長がサウンドバックになっている状況に悲憤していました。
若い力を見せてやろうと心に決めました。

ちなみに、私は当時は大して選挙経験もありませんでした。
しかし、仕事の関係上、友人知人は同世代に比べて圧倒的に持っていました。
力を貸してくれる人も多く存在しました。

私の2013年奈良市長選挙が始まりました。

 

仲川げん奈良市長の政治情勢

この時期、仲川げん氏と馬淵澄夫氏も関係が強固ではなかったようです。
この状況下、奈良市長選挙に出馬する意向の人の情報が増えてきました。
民主党は終焉を迎え自民党政権となり、大阪では維新が躍進していました。
仲川氏の政治勢力も混沌としていましたが、日本の政治情勢も混沌としていました。

 

奈良市議会の政治事情

ここで、当時の奈良市議会の印象を書いておきます。
まずは保守系。
自民党と奈良未来の会という会派がありそれぞれ10人未満。
そこに共産党・公明党・民主党系が7人前後。
その他無所属という感じでした。

奈良は古来からバランスを重視する地域です。
不思議ですが、共産党と公明党は同数に収まるんですね。
また、それまでの経緯から反目しています。

保守系と革新系という意味では自民系と民主系もそうですね。
つまり、片方に乗れば、片方は敵になる。
しかし、片方に乗ればそれなりの勢力になります。

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仲川げん氏の選挙戦略

仲川げん氏はここで公明党の支援取り付けを最優先します。
そして無所属で、利権と戦うイメージで戦おうと思っていたでしょう。

 

揺れ動く軸

そんな仲川げん氏からこんな電話があったことがありました。
「維新が推薦だすから、申し込みを出せと言われている」と。

これまで馬淵―仲川の政治でした。
もっとも馬淵氏は仲川氏が市長就任後、いう事を聞かないと匙を投げていたみたいですが。
だからと言って、維新に行くと有権者はどうなるのか。

自分の軸はどうなるのかと、かなりきつめに反対をしました。
結局無所属で出馬することになりました。

今はもう交流がないので、聞くこともありません。
しかし、維新から連絡があったのか、自ら維新に連絡したのか、知りたかったなと思っています。

 

奈良市長仲川げん氏の12年を語る・2013年大混戦の奈良市長選挙その1を紹介しました。

次回第12回も引き続き2013年大混戦の奈良市長選挙その2について書きます。
その2では仲川げん事務所について紹介します。

 

 

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