奈良市長仲川げん氏の12年を語る。
第12回目となりました。
第11・12・13回目は仲川げん氏の2回目の選挙について書きます。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・2013年大混戦の奈良市長選挙その2を紹介します。
無所属で出馬する市民派市長
1期目がなんとか終わり、2期目を目指す選挙が始まります。
四面楚歌で議員はほとんど敵のような印象がありました。
そんな中、2回目の選挙が始まります。
後援会のボスは仲川順子氏
奈良市長仲川げん氏といえば、母順子氏がまず出てくるでしょう。
奈良のNPO活動の草分けでかなりの著名人でした。
母が著名で息子が無名だったので当初はマザコンという噂(虚実)までありました。
後援会は仲川順子氏の友人・知人が大勢集まって作業を行っていきます。
後援会長は東大寺別当の奥さま
奈良市長仲川げん氏の後援会長は東大寺別当の奥さま。
奈良の多くの方はご存知な話です。
詳細は知りませんが、これは仲川げん氏の母順子氏がNPO活動をやっていた関係でしょう。
選挙は基本、後援会を母体にして行います。
仲川げん氏の両親特に母順子氏の知名度が後援会を形成していました。
格好良い作戦本部長F氏
選挙とは限られた人数で最大限多くの人に出会う方法が必要です。
奈良市長選挙の期間は1週間。
それまでの後援会活動を軸に、選挙へと向かっていきます。
選挙は前回に引き続き馬淵澄夫事務所が加勢に入ります。
そこに馬淵氏の盟友F氏という方がいました。
本業は本屋をされています。
事務所ではいつも鉛筆を持って地図と睨めっこしています。
F氏は馬淵澄夫の選挙の際も選対本部長をされています。
外見は温和な人のよさそうな雰囲気です。
しかし鋭い読みと的確な行動、課題を瞬時に解決する動きと舌を巻く思いでした。
F氏は事務所を離れずに、ずっとそこで作戦を練っています。
新選組副長土方歳三のような存在感のある人でした。
若者を多く引き連れて参加した自分にとって、F氏の姿が一番印象的でした。
選挙とは看板となる候補者も必要ですが、その候補者を活かす参謀長が必要です。
若草山山麓の旦那K氏
もう一人、素敵な紳士に出会いました。
若草山山麓で墨や物産の販売をしているK氏です。
K氏はどちらかというと保守系の方で、後援会長に協力を依頼されて参加されていました。
奈良の事情を深く知るK氏。
どこの誰が、どの候補者を支援しているのか詳しくご存知でした。
何かあれば、その人脈を縦横無尽に駆使して解決していきます。
奈良の地域事情が選挙に与える印象
奈良は歴史的には日本で最も古くから残る町です。
特に近鉄奈良駅を軸とする奈良市東部の旧市街地はどこに誰が住んでいるのかわかるような地域です。
極論を言えば、旧市街の5万人は下らないだろう人口は数珠繋ぎのようになっているといえます。
一方の、西部地区。
学園前・富雄・あやめ池・高の原などの地区は新興住宅地と言えます。
人の繋がりというよりも教育関係や自治会などプライベートでの繋がりの方が強いでしょう。
すると、東部と西部では選挙戦略が変わってきます。
馬淵事務所の参謀本部長F氏と若草山山麓の旦那K氏の存在はそれを担保する形です。
ネット選挙解禁と動画撮影
仲川氏は、告示までに動画を撮影したいと河瀨直美氏に動画の協力を依頼します。
そしてT氏という方が東京から撮影のためにやってこられました。
動画は訴求力のある内容が必要です。
動画の長さや色合い、そして本人の画の強さなど。
ここで問題が起こります。
仲川事務所側に、動画を撮るだけの情報などがまとまってないんですね。
撮影のプロは撮影や編集のプロであり、選挙に関しては素人ですね。
そして動画撮影はなぜか、私の友人達、若者チームに任されます。
新しいことに挑戦することは良いことです。
しかし、仲川氏は選挙に限らず、事前準備がほとんどありません。
「〇〇したいから。では、よろしく」
これがいつもの流れでした。
しかし、この時は元気な若者が多く集まっており、勢いでそれもクリアできました。
勝つか負けるかわからない選挙。
しかし、そこには人が集って共同作業をする楽しさもまたありました。
塾講師出身のT氏が応援演説をします。
街宣車では「ファイト一発仲川げん」をマイクで連呼します。
体力のあるOK氏は寝ずに動き続け、まさに5人分ぐらいの力がありました。
そして、ここに中川崇氏が登場します。
仲川げん事務所の中川崇氏
中川崇氏は、2012年秋から半年、私の会社の職員を勤めました。
京大卒の事務型人間が、火事場のように忙しい私の職場で苦戦します。
そして、退職後、3月から仲川げん事務所の事務局スタッフに赴任していました。
真面目な中川氏は、火事場のような選挙事務所で悪戦苦闘しています。
また、私やT氏やOK氏のように本業ではない気安さもなかったでしょう。
1人もくもくと事務の処理に追われていました。
今、考えると一人だけ損な役割を担っていたと思います。
また仲川げん氏本人が無計画な事もあり、中川氏は分の処理で倒れるのではないかと心配していました。
しかし、この中川氏、陸上部出身で、体力があるんです。
最後まで自分のペースを崩さずに事務所を下支えしていました。
奈良市長仲川げん氏の2013年7月の選挙事務所の雰囲気と登場人物を紹介しました。
次回は12回目です。
引き続き奈良市長選挙2013年7月の話を書こうと思います。