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奈良市長仲川げん氏の12年を語る・奈良町・ならまち問題

奈良

奈良市長仲川げん氏の12年を語る。
第23回目を迎えましたが、書き続けて疲弊しています・・。

しかし、もう少し書き続けたいと思います。
今回もまた凡ミスの連続が町を疲弊させている話です。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・奈良町・ならまち問題を紹介します。

江戸期、代官所管轄地域だった「奈良町(ならちょう)」

江戸時代、奈良の旧市街地は全体で奈良町(ならちょう)と呼ばれていました。
これが、その後、明治を迎えて奈良市になっていきます。
奈良町の範囲は近鉄奈良駅を中心としたエリアです。以下地図参照

奈良市都市景観形成地区「ならまち」

奈良市は1990年代から猿沢池より南の地域においてまちなみ保存事業を進めます。
都市景観条例を制定し、奈良市都市景観形成地区を特に「ならまち」と呼びました。
平仮名の表記になります。

地域住民の使い方

その猿沢池より南の地域を地域住民は「奈良町ーならまちー」として使用するようになります。
奈良市は仲川市長がいじくるまではこの猿沢池より南の地域が「奈良町ーならまちー」として確立されていました。
それを市長が新たに「奈良町地区」として奈良の旧市街全体を指すようにしてしまいました。

仲川市長肝いりの奈良町にぎわい課

その奈良の旧市街地全体「奈良町地区」を管轄する課として奈良町にぎわい課を設置します。
奈良町にぎわい課の管轄範囲は北は聖武天皇陵から南は京終エリアまでです。
その間、北から、きたまち・商店街・ならまち・京終と4つのエリアが奈良町地区とされました。

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きたまちも奈良町・京終も奈良町・商店街も奈良町

そうすると、漢字であっても読み方は「ならまち」であり猿沢池より南の「ならまち」と同じになります。
そうすると、奈良市としてはきたまちも商店街も京終も「奈良町(ならまち)」読みになってしまいます。
これは、きたまちや商店街・京終地区のまちづくりをされている方には失礼だと思います。
きたまちをがんばって盛り上げる人に奈良市は奈良町地区ですと紹介することになります。

一方で、「ならまち」地区にとっては、その知名度のある名前を他の地域にも汎用されています。
こちらにとってもデメリットしかありません。

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一貫性のない市長の政策が引き起こした矛盾

仲川市長というのは一時が万事、このように計画性のない事業の連続です。

奈良町情報館は「ならまち」の観光案内所ですが、奈良の旧市街地全体「奈良町」すべては管轄外です。
奈良町情報館から南に3つの行政施設があります。

奈良町にぎわいの家
ならまち格子の家
奈良町南観光案内所

奈良町にぎわいの家は、奈良町全体のにぎわいの為
ならまち格子の家は猿沢池以南のならまちの格子の家
奈良町南観光案内所は奈良町全体の南の観光案内所となります。

ちょっとややこしすぎると思います。

 

市民が混乱するために市長がいるわけではあい

市長がこうしたいと言ったときに反対する人はいなかったのでしょうか。
人事を握っている市長の元ではイエスマンしか残ることができません。
特に前奈良町にぎわい課の課長T氏は酷いものでした。

行政の首長は有権者である市民の利便性の向上を図らなければならないでしょう。
それがこの奈良町・ならまち問題を見ても、混乱を招いているだけになっています。

奈良市長仲川げん氏の12年を語る・奈良町・ならまち問題を紹介しました。

次回は第24回目となります。
次回は宿泊施設誘致と宿泊税について紹介します。

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