今日も外出で、録画を見る羽目になりました。
さて、真田丸25話別離の感想を書きます。
真田丸25話別離は豊臣秀長の死と千利休の切腹の話から始まりました。
この二人は秀吉の往年の名助手です。
秀吉は九州の大名大友宗麟にこのようなことを言っています。
「外のことは秀長に、うちうちのことは利休に」。
政権のNo2の秀長が政商の千利休を切腹へと手筈を進めます。
ここには行政と商業者の事情の違いが垣間見えます。
行政とは地域の上に成り立つ収税権を持つ組織です。
商業者は人のいるところには需要を見つけて進みます。
豊臣政権にとって北条家は敵でした。
しかし、商業者の千利休にとっては北条が相手であってもそこの需要がある限り商圏を広げます。
豊臣政権にとっては敵が有利になる可能性がそこにできるかもしれない。
千利休がそれを武器を売ることで不利になるかもしないという猜疑心になります。
また、秀長と千利休の死は同時に豊臣政権の世代交代も意味しています。
私は秀吉と利休には美的感覚の違いが決定的にあったと思います。
今でもその差が利休を死に追いやったと思っています。
鶴松の病気は利休の祟りだと噂があると話がありました。
しかし利休にはそんな趣味はないと思います。
石田三成の詰所に加藤清正と福島正則が訪ねます。
このシーンでは武断派と文治派というような印象が出ました。
ただし、三成には骨もあるという書き方でした。
親族も集まりました。秀次・秀俊・秀保・秀勝。
そして宇喜多秀家。
秀家は厳密には血縁ではありません。
しかし、秀吉の期待にもっとも応えた猶子です。
秀家に関しては以下で紹介しています。
宇喜多秀家について
鶴松は亡くなります。
秀吉はその悲しみを忘れるように新しい企画に没頭し始めます。
真田丸25話では秀吉と鶴松もまた別離となってしまいました。
真田丸25話別離の感想ですが、
豊臣政権の世代交代としての別離。
政権内部の派閥の別離。
秀吉と鶴松の別離。
そして秀吉の目標だった天下統一が達成されたことによる目的との別離。
天下統一という目標と、その後の次は何をすればいいのかという政権内部の目的意識の別離。
今回の真田丸25話ではそんな感想を持ちました。
真田丸25話の感想でした。