日本のまちづくりの走りと言えば、由布院をいつも思い浮かべます。
1971年に町のおもだった人が50日間、ヨーロッパを視察に回り、そこで得たヒントが今にも息づいています。
私は実は結構、湯布院と関係が深かったりします。
由布院の観光カリスマ中谷健太郎さんと溝口薫平さん
亡くなった私の祖父は、まだ湯布院がまちづくりを始める前から、湯布院を訪ねていました。
現在は観光カリスマとして著名な、亀の井別荘の中谷健太郎さんや溝口薫平さんの若き頃を知っていた祖父だったそうです。
そして私の父は、昔、湯布院の和菓子店に指導というかアドバイスによく行っていました。
なので、その和菓子店のご自宅に預けられて、そこの家族の方によく遊んでもらっていました。
その家族の方は現在は和菓子屋を辞められて、紗羅樹という旅館をされています。
外来魚が幅を利かせている金鱗湖
さて、湯布院に観光で訪れるのは大学卒業した2008年ぶりです。
まずは、金鱗湖へ。
8年前はあまり気付かなかったのかもしれないのですが、外来種の魚が多いですね・・・。
金鱗湖といえば、夜になると髪を洗っている女性の幽霊が出ると怖い話を小さい頃は聞かされていました。
由布院といえば亀の井別荘の天井桟敷
そして、亀の井別荘に足を運びました。
ここではかぼすのシャーベットを食べました。
高校3年生の時に亀の井別荘を訪ねた時、中谷さんの奥様に食事をご馳走になりました。
そして、内風呂に入れてもらい、颯爽と帰ってきたのを覚えています。
湯布院は私の両親の新婚旅行先だったそうで、亀の井別荘に泊まったそうです。
ちなみに私はまだ宿泊をしたことがありません・・・。
玉の湯旅館の溝口薫平さん
そして、お約束のように、玉の湯旅館に足を運びました。
玉の湯旅館の御主人溝口薫平さん。
まちづくりのアドバイスをいただきに何度かお訪ねしたことがありました。
今回も失礼ながらふらっと訪ねさせていただきました。
溝口さんは前回訪ねた時も同じ話をされていました。
「由布院は外からビジネスに入ってきた人が多すぎる」
「湯布院は湯布院外の人が多く、そしてまちづくりに協力してくれない。」
私も湯布院を歩いていると思うことがあります。
湯布院にとっていわば外資系が参入しているんですね。
湯布院に出店すると商売になる。
そうなります。
まちづくりを進めてきた溝口さんからすると、自分達の考えたコンセプトを理解してほしいということになるでしょう。
それは観光に訪れる人も同じように感じると思います。
しかし、やはり訪れる人が多くなればなるほど、その地域での需要は伸びます。
受け入れ地域はそれに対応しなければならないですね。
1万人のキャパのある地域に1.1万人来るだけで町は混乱します。
大々的に温泉の町という印象をメディアが取り上げたことによる宣伝の結果なんだと思います。
受け入れる地域の方は簡単には需要の急増には対応ができないんですね。
そして人が多く押し寄せると商売が成り立つので出店が増えます。
由布院がまちづくりでやるべきだったこと
由布院がまちづくりの中でやるべきだったこと。
それはエリアを決めてしまうこと。
そして、そのエリア内を様々な条例等を行政と組んで決めることだったのではないかと思います。
そのしばりがあれば、風光明媚は風景は残せたのだと思います。
メディア主導の地方の観光PRの限界
戦後の日本はメディア主導による経済成長があったと思います。
その一方で、地域という限界のある枠の中でメディア現象が起こることは混乱を意味するでしょう。
知らない間に、「地元の名物」ができあがります。
ならまちにはまだその雰囲気はありません。
しかし肝に銘じておかないといけないことだろうと思います。
地域は地域主導で発展していくべきですね。
由布院を訪ねて地域の課題を学んできました。