地域活性局

藤丸正明

岸和田観光に岸和田城と明智光秀縁の本徳寺を訪ねました


大阪府岸和田市。

泉南地域に属する岸和田城城下町を中心に発展してきた人口約20万人の特例市です。

岸和田といえばだんじりですね。

だんじりといえば岸和田といった方がいいかもしれません。

特にだんじりの速度を落とさずに方向転換する‘やりまわし’が有名です。

岸和田のだんじりの始まりには諸説あるようです。

城下町特有の町としてのお祭りの特性のあるお祭りですね。

徳島の阿波踊りや岐阜県郡上八幡の郡上踊りなどと共に昭和中頃に全国区になりました。

ちなみに、今でもだんじりの台数は増えているそうです。

さて、だんじりで有名な岸和田ですが、他にも観光スポットがあります。

まずは、岸和田城です。

岸和田には地名の由来があります。

南北朝期の武将楠木正成。

後醍醐天皇の建武の新政を強力にサポートした大坂府東部河内の人です。

その楠木親族のに和田氏。

その和田の分家が泉州に居住したことから海の方(岸)の和田で岸和田となったそうです。

さて、岸和田城は岡部氏の城です。

岡部氏は徳川家の準譜代で駿河国の豪族でした。

関ケ原の戦いに勝利した徳川家康はこの岡部氏を岸和田に置きます。

豊臣家への牽制の要素が強く、実際に大坂夏の陣でも岸和田城は豊臣方への強力な牽制となりました。

岸和田城の本丸御殿跡には昭和の作庭家重森三玲の庭があります。

重森美玲の岸和田城の庭は平成26年に国の名勝に指定されています。

岸和田城内には岸和田市役所と岸和田高校があります。

 

岸和田城の天守閣から岸和田高校の生徒の部活動の声が聞こえます。

どの地域もそうですが旧城内にある高校は進学校であることが多いですね。

多くの場合、元は藩校でそのまま城内にあるようですね。

 

岸和田城(岸和田市所有)は昭和期に天守閣を再建しています。

昭和期に天守閣を再建している地域は多いですね。

この時代にお城を復興することは地域のシンボル作りを目指している例が多いです。

その当時、地域に活力があった証拠でしょう。

岸和田城の天守閣からの眺めを少し紹介します。

すぐ近くに大阪湾や神戸の町・そして淡路島も見えます。

そして岸和田には地域のお祭りとしてだんじりも存在します。

岸和田市は非常に地活力のある地域のように思いました。

岸和田城は岡部氏5万石の城下町ですが、城構えは20万石の大名級の大きさです。

これは紀州抑えという役目もあったようです。

そして、城下町も非常に商業力があるように思いました。

 

 

 

気になった点は和菓子店が何軒かあったことです。

和菓子屋の息子がいうのもなんですが、和菓子店が地域に多く存在することは地域の文化力を表しているように思います。

和菓子が必要な状況が多い地域。

それは改まった話ができている住民の多い地域ともいえるのかなと。

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お茶室や仏間が減っている現代社会の住宅事情。

改まった話をする機会は家族の中でも確実に減っています。

味わいのあるお茶やお菓子の存在はその改まった場所に必要です。

今回、岸和田を歩き、他の5万石級の城下町よりも格段に町の文化が残っていると思いました。

また、現代として考えても20万人特例市の中でも際立って地域に活力があるように思いました。

せっかく岸和田に行ったのでランチのお店を探しました。

しかし、歩いていると町に気付かされる点がとても多く、ランチに入りそびれました。

他の考えごとをしていると、空腹でもお店を決めにくいですね。

そして1軒、素敵なお店を見つけたので入りました。

音時間 ON TIME というお店です。

おとじかんと書いて、オンタイムと読むそうです。

このお店は基本は音楽教室になっているようです。

音楽教室をされている方が、なんとジェラートも販売しています。

これが結構おいしくて、1時間程、ここでゆっくりしていました。

 

 

岸和田は古い建物も多く、新しい物と古い物の調和がとても整った町でした。

訪問前は岸和田愚連隊が岸和田の一つのイメージでもありました。

なので、ちょっと気を引き締めていきました。

しかし愚連隊どころか、この町はおそらく町の奥底に文化力が息づいているように思いました。

そして岸和田といえば、もう一つ隠れたスポットがあります。

それは、岸和田城近くにある本徳寺です。

本徳寺には日本史の教科書に良く出てくる肖像画があります。

それが明智光秀の肖像画です。

ここは明智光秀の縁者のお寺だといわれています。

私は明智光秀が好きです。

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大阪は秀吉が作った町です。
それに対して、大阪府の南部の主要都市に明智光秀縁のお寺がある。
何やら対極にあるように思いました。

明智光秀は最近、いろいろと話題にもなっています。

明智光秀の子孫の方が本を出して本能寺の変などの新説を発表されています。

謎の多い人物です。

 

こんな話があります。

明智光秀は山崎の合戦では戦死せずに出家した。

その出家した人物が家康の帷幕の人物である南光坊天海である と。

ちなみに、南光坊天海は後に、栃木の日光をひらいています。

そして、つけた名前が‘明智平 あけちだいら’です。

 

家康の帷幕にはもう一人僧侶がいます。

それが金地院崇伝です。

この人物は南禅寺金地院の住職です。

そしてこの金地院の門は明智光秀縁の門です。

 

さらに、明智光秀の重臣斎藤利三の娘が春日局です。

春日局は徳川家光を育てた人物ですね。

その様々な死後の説がある人物の肖像画が唯一岸和田にあります。

光秀饅頭を持ってお寺のご住職を訪ねたいと思いました。

次回はきっとそうなるように知己を探したいと思います。
またぜひ、歩きたいと思います。

岸和田観光に岸和田城と明智光秀縁の本徳寺を訪ねました。

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