人の気持ちがわからない優等生たちの日本

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時間が過ぎ去ってしまえば人は記憶から少しずつ消し去ってしまう。

しかし、私は忘れることができないことがある。

観光地に経済の余波が来るのは5年後

1990年、バブルが崩壊し浮足立っていた日本はどん底に向かう。

その時私は7歳、小学生1年生だった。

小学6年生。

親が工務店を営んでいた同級生の親が離婚した。

その同級生は最後の登校日、父親の肩車で泣きながら学校を去っていった。

中学1年生。

同じ子供会(同じ地区)の同級生が突然消えた。

次の日、その同級生の家に便りを持っていく友人と帰りがけにあい、ついていった。

すると、同級生の家の中に赤いスーツの男が土足で立っていた。

『お前ら、ここの家の人間しらんか』

そう言われた。

その同級生の家も工務店関係の仕事をしていた。

経済が崩壊して数年、太宰府にも不況の影響がでていた。

私の家にも、その波が来ていた。

父は中学1年生になる寸前に実家の和菓子店を追い出される

小学6年生の時、従兄弟の父が亡くなった。

それから、なんとなく気落ちしたまま小学校を卒業した。

しかしそれもつかの間。

父は実家の和菓子店を追い出されていた。

忘れもしないその日。

21時過ぎに父の姉夫婦が隣の祖母の家の勝手口を激しく叩いていた。

祖母は出てこない。

母が気を利かせ祖母を起こし、父の姉夫婦は祖母の家に入っていった。

そしてその日、父が和菓子店を辞めさせられることがきまったらしい。

そして、独立することになった父。

実家を少し改装して、実家で和菓子を作るようになった。

私はこの頃から、私は人が嫌いになった。

今にして思えばバブル崩壊の余波はうちの父にも降りかかっていたように思う。

人減らしという観点で親族内で末っ子長男を追い出すことにしたんだろう。

学校が荒れる

私は中学生になると、周囲と付き合うことができなくなっていった。

この頃から社会が非常に嫌いになった。

反抗期だったかもしれない。

しかし、今にして思うこと。

この状況の変化は13歳の自分には受け入れられるようなことではなかった。

 

そして、これも今にして思うこと。

経済的不況によるストレスは私だけではなく多くの同世代にも押し寄せていただろう。

中学2年生になって、先生と生徒の間に亀裂が入るようになった。

14歳にもなると男は身体的成長を遂げる。

大人の理不尽な抑圧に対して反発が強まっていく。

子どもを納得させることのできな教師。

私の通っていた中学校の教師はそんな人ばかりだった。

 

荒れた学校 暴力を奮う・受ける生徒と教師の醜態

3年生にもなると荒れた学校は生徒同士の諍いが増えた。

男社会は本質的には力がモノを言うだろう。

そのうち、進学を決めた生徒は内申点に響くために喧嘩はできなくなる。

私の通っていた学校の先生は何かあると内申点という言葉を振りかざしていた。

私はそれが大嫌いだった。

武術系の習い事をしていた友人達は進学を意識するまでは普通に喧嘩などはしていた。

しかし、それができなくなる。

すると進学をしない生徒が挑発する。

人とは不思議なもので、一度背中を見せると、振り返るのは難しい。

一度、逃げると相手は追いかける。

そして事件が起きた。

 

事件の遠因は教師たちの自己都合

進学生徒を追いかけるようになった非進学生徒。

『学校の帰りがけ、逃げるなよ』と授業中に人伝で伝えます。

進学生徒は教師たちに伝え、何回かは教師たちが家まで送っていった。

しかしある日、教師たちはその生徒達に送ることを止めると通達した。

理由は、他の生徒に対して説明できないからだと言っていた。

私も追い掛け回されていたので、その日から学校に行くのをやめた。

そして、次の日、進学生徒数人は集団リンチを受けた。

私はその日から担任の先生が嫌いになった。

教師たちが警察に通達していれば、この事件はなかっただろう。

しかし、教師たちは自分たちの将来のために隠蔽した。

 

 

報酬をもらう価値のない教師たち

教師とは、生徒を預かり成長させるために報酬を貰っているだろう。

しかし私のみた現実は、くだらない醜態をさらす教師ばかりだった。

入院すると言って職場放棄する教師、生徒に媚びをうるばかりの教師。

際どい恰好をして生徒の気を引く女性教師。

私はそんな教師に1年生の時に理不尽な仕打ちを受けた↓

中学校の頃の話。先生に虐げれて学校が嫌いになった話

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私の通っていた中学校の教師たちはどんな人生を送ってきたのだろうか。

中学生の私には魅力的な‘人’としては映らなかったこと。

進学することの意義は何か、内申点を守ることの意味とは何か。

それを1回きりとも聞いたことはなかった。

進学しない人もいる。

進学しても中退する人もいる。

家庭の事情で進学できない人もまた沢山いる。

中学・高校と内申点を守って進学して教員免許を取って教師になる。

絵にかいた優等生だっただろう。

そして教師になった人は、そうでない生徒のことを考えたことがあったのだろうか。

 

 

私は、人は苦労しただけ魅力が増すと思っている。

苦労していない人の言葉は薄っぺらい。

苦労して報われていない人も世の中には多くいる。

私はそんな人が活躍できる社会であってほしいと思う。

同時に自分の会社もまたそうであってほしいと思う。

バブル崩壊の余波で見えない苦労をした思春期を過ごした世代。

人の気持ちがわからない優等生が動かす日本を変えられるかどうか。

 

その後の太宰府の話

荒れた学校は多くの人の心に残った。

特に生徒の親たちには非常に重く響いたらしい。

その生徒のうちの1人の親が後に太宰府市の教育長になった。

その人は学校に通い、多くの教師たちと交流をはかった。

 

今、太宰府は学校が荒れていない。

 

私はその人にとても感謝している。

 

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