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観心寺のご利益は縁結び・観心寺と楠木正成の不思議な縁

地域 大阪

大阪府河内長野市は明治まで河内国でした。

古代から開けていた河内国は南へ向かうにつれて山岳となり、河内長野ともなるとどこか山国の感があります。
河内長野には古代から歴史の多くの歴史の証人が残っています。

その歴史はある一人の人物と一つの寺院に集約されるように思います。
観心寺と楠木正成の不思議な縁を紹介します。

観心寺の創建は役行者

観心寺は1400年ほど前に役行者によって創建されたといわれています。
また、空海がその弟子実恵に観心寺を付属させたといわれています。

後で記していますが、観心寺はこの役行者のご利益が満ちているように思います。

観心寺と楠木正成の揺るぎない関係と透明性を感じる仏の教え

鎌倉時代末期、この寺院に1人の子供が勉学に通っていたと言われています。
その名は多聞丸、後の楠木正成です。

正成の家は詳細不明ですが、この地域の有力者だったでしょう。
当時、寺院にとって地域の有力者は大事なスポンサーだったでしょう。

観心寺で学んでいた正成はまさか後に壮大な運命が待っているとは思わなかったでしょう。
観心寺のご利益があったのでしょう。

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観心寺と楠木正成と後醍醐天皇

鎌倉末期に倒幕を掲げた後醍醐天皇は笠置山で夢を見ます。
大きな木の南側に置かれた玉座の横で、二人の男が涙ながらにこの地に留まるように言います。

木の南なので楠ですね。

後醍醐天皇は楠木という者を探します。
そして楠木正成と出会います。

楠木正成は後醍醐天皇の旗揚げに呼応して河内国赤坂城にて挙兵します。
その後、後醍醐天皇は幕府に掴まり隠岐の島に流されます。

しかし正成は河内の山で孤立無援の中、幕府を相手に縦横無尽に活躍します。
その河内国での神出鬼没の様は観心寺を創建した役行者を彷彿とさせます。

楠木正成に勇気づけられた後醍醐天皇派が全国各地で挙兵します。
そして後醍醐天皇の世になり、楠木氏は大いに家運をあげました。

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観心寺のご利益で誠実な心を持つ人が育つ

観心寺のご利益を考えてみます。
観心寺は歴史を旋回させた楠木正成が学んだ地です。

そして正成は誠実で生涯人を裏切ることがありませんでした。
観心寺の境内を歩くとその清々しさを感じられずにはいられません。
観心寺のご利益は誠実な心を持つ人を育ててくれるのでしょう。

また、観心寺と楠木正成にはもう一つのご利益を想像できます。
楠木正成は少数で多数を相手に勝利を重ねます。
一時期は一人で日本中を相手に戦い続けます。
最期まであきらめない姿が結局は日本の歴史を変えています。

観心寺のご利益は心願成就でしょう。

観心寺は人とのご縁にご利益のある寺院

最期に、今回は観心寺内で行われた催事に行きました。
そこで母方の実家の町の神社の宮司さんと会いました。

まさかのご縁をいただきました。

後醍醐天皇と楠木正成のご縁もきっと観心寺のご利益なのでしょう。
それにしてもそのご縁が日本の歴史を変えています。

観心寺と楠木正成の不思議な縁とご利益について書きました。

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