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子供会の仲間たちと通学路の蜂の巣退治

プライベート

私の生まれた福岡県太宰府市。

1990年頃、まだ太宰府には活発な子供会がありました。
中でも私の所属していた五条1組は人材の宝庫でした。

子供会のメンバーで成し遂げた通学路の蜂退治を紹介します。

蜂に刺されて泣いていたN君

それはある土曜日の夕方だった。

私の実家の隣は護岸工事された御笠川が流れている。
その川沿いで子供会の1個下の友人のN君が泣いているのを見つけた。

「どうしたとや??」

どうやら足長蜂に刺されたらしい。

しかし近くには蜂の巣らしきものはない。
その時は、それだけで終わった。

通学路は蜂の巣だらけだった

ちょうどそのころ、学校の通学路の帰りが暇だった。
なんでもやりたい年ごろの私は、友人達と川の護岸工事された部分に子供が歩ける部分を見つけた。

そこを通って帰ってみようというバカな思い付きを3人で始めた。
この子供が歩ける部分は途中途中に雨水が流れる穴が空いている。

面白おかしくここを歩いていると蜂が襲ってきた。

生存域の小さなこの3人の子供はびっくりして川に落ちた。
幸い下は土であり助かったが、登るのに苦労した。

そして登ろうとした時、蜂の巣を発見した。
蜂の巣は雨水が流れる小さな穴の中にあった。

学校の通学路は御笠川の整備された護岸の上。
その下の穴にはほとんどの確率で蜂の巣があった。

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N君の仇討ちを計画する

私の学年は子供会では2名しかいなかった。
しかし、すぐ下には10人ほどの活きの良い男たちがいた。
N君が刺された蜂に仇討ちしてやろうと次の土曜日、集合をかけた。

集まってきたのは4人。
みんな思い思いの武器を持って集合した。

動きが雑でおっちょこちょいのF君は木の棒。
運動神経の良いT君はバット。
神主の子供で陽気なM君は笑顔。
私も棒・・。つまり、武器は棒しかない・・・。

穴の出口は川の絶壁から覗く他、道路側からも覗くことができる。
しかし棒はどれも短く、大して蜂の巣には届かなかった。

そこでT君がガリ勉A君に助けを求めに行った。

そう、A君の家にはウォーターガンが3つあった。
A君がウォーターガンを持ってきた時に、補給する水の問題に気付く。

そこで全員が一度、家に戻って魔法瓶を持ってくることになった。

ウォーターガンで蜂の巣を落とす

やっと準備が整い、運命の攻撃に移った。

しかしウォーターガンは水があまり入らない。

そこで、私の家に水を入れに行く当番を決めた。
選ばれたのはガリ勉のA君とM君も行くことになった。

私とT君は打ちまくる。

そしてF君が良い事に気づいた。

川に流れ込む溝の水を使えばもっと補給が楽になるのではないか。

その‘水’はきれいではない。

しかし、N君の仕返しという大義名分にガキどもは手段を択ばなかった。

その甲斐あって、4時間余りで400mある通学路の蜂の巣を残らず退治できた。

しかし、負傷者も出た。
おっちょこちょいなF君は水補給の途中で足長蜂に見事に刺された。

1人の負傷者を出しながらも、N君の仕返しと通学路の安全を確保した5人は満足して帰路についた。

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後日談・・・使えなくなったウォーターガンと魔法瓶

5人の満足感とは裏腹に失ったものは大きかった。

まずはウォーターガン。
汚い水を使っていたことで、銃口が詰まり、使えなくなった。
A君は親に怒られ、当分、一緒に遊べなくなった。

もう一つは魔法瓶。

これは私以外の全員がたぶん、使えなくなったと思う。
なぜなら汚い溝の水を使ったからだ。

そしてF君。
アイデアで5人の目的を強力にサポートしたのに蜂に刺された。
そして厳しい親に魔法瓶のこともバレて怒られた。

 

そして、この蜂退治には肝心のN君は来なかった・・・。

 

子供会という場所

子供会はとても楽しかった。
蜂の巣退治以外にもいろんなことをやった。

そんな子供会は、次の夏のソフトボール大会で全勝した。
私は学校などでリーダーになったことはなかった。
しかし、子供会ではリーダーに押し上げてもらっていた。
あのささやかな体験が、かろうじて今の自分の立ち位置を支えているように思います。

子供会の仲間たちと通学路の蜂の巣を退治した話でした。

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