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卒業前に友人が書いた色紙の文字「日産」

プライベート

思い出をつらつらと書きます。

友人のM君

小学校は3年生、5年生でクラス替えがあります。
私は1.2年生は4組、3.4年生は2組、5.6年生は4組でした。
小学6年間でずっと同じクラスだったのは1名(女子)でした。
次に多かったのは1.2年と5.6年が一緒だったM君でした。

M君とは父同士も同級生だった関係で割と親しくしていました。
私が苗字が「ふ」で始まり、M君は「み」で始まります。
なので、最初は私の後ろがM君でした。
運動神経もよく、素直な性格で友達も多い友人でした。
割と人になじみやすい性格で、僕の歴史狂にも付き合ってくれていました。
図書のレンタルはいつもマンガ日本の歴史。
クラスでは、二人して「歴史バカ」といわれていました。

小学5年生での再会

5年生で再会した時もやはり席は私の後ろでした。
しかし、彼ははっきりと自分の趣味を持っていました。

それは車でした。
M君は車がとても好きでした。
当時とても驚いたことがありました。
M君はエンジンの音でどこのメーカーの車かわかります。
これには驚愕しつつ、不思議な感じでした。

好きこそものの上手なれですね。
その時、私はよくわからない衝撃を受けたのを今でも覚えています。

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卒業と色紙

そして卒業を迎えます。

確か、最後の書道の時間だったかと思います。
最後に色紙に自分の好きな字を書くというのがありました。

当時、上杉謙信全盛期だった私は迷わず「義」と書きました。
ちなみに、私は当時、書道がとても得意でした。
私の書道教室の先生は元陸軍調練士。
ちょっと大げさですが、月2回の金曜日は生死をかけての鎬を削る時間でした。

さて、M君。

M君はなんと色紙に「日産」と書いていました。
僕は自分の武将臭い言葉をそっちのけで笑ってしまいました。
しかし、M君は動じずに、涼やかな表情でした。
その時の表情がいまだに忘れられません。

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M君と私のその後

それから26年経ちます。

M君は、工業高校を卒業後、自動車整備会社で働いているということです。

M君は10歳の頃に見つけた自分の「道」を形にしています。
私は彼が働いている姿を見ていません。

しかし、容易に想像がつきます。
毎日が楽しいでしょう。

好きこそものの上手なれ。

自分はどうかというと、自分の好きな歴史が今年、仕事になりました。
茶の湯の世界、お茶会で歴史を紹介する。

彼は高校卒業後すぐにその世界に入ったそうです。
遅れること18年。

最近、自分の子供の成長を見ながらどう、接するべきか悩んでいます。
できれば、織田信長の父信秀のように、息子の行動力を肯定できるようにと。

小学生の頃の思い出でした。

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