東京が首都になった理由は前嶋密の建白書

地域 視察

日本の中心東京。
東京を首都とは憲法明記されていません。
しかしどう考えても東京が首都・中心になるでしょう。
そんな東京が首都・中心になった理由があります。
それはある人物の建白書でした。
東京が首都になった理由は江戸の町の生き残りでした。

東京が首都になった理由は前嶋密の匿名建白書でした。

 


東京首都ではなく大坂首都になる予定だった理由

大久保利通遭難の地

1868年、明治政府が京都で発足します。
これからの日本を考える明治政府の事実上の首班は大久保利通でした。

大久保利通は大坂遷都論を唱えていました。

・天皇は西欧君主のように国中を視察し、民を育て広く敬愛される君主となることが重要
・そのために遷都が必要
・遷都の地は他国との外交・富国強兵・軍備増強等において大坂が適当である

そこにある人物からの建白書がありました。


東京を首都にしないといけないという建白書

その建白書にはこう書かれていました。

・維新の大業を成そうとしていることを奥羽越の諸藩に理解してもらうべき
・蝦夷地も含めると日本の中心は江戸になり、その開発には江戸の立地が重要
・大坂は商業都市なので廃れないが、幕府を失った江戸は廃れる可能性がある

この建白書を見て大久保利通は東京を首都に決めたといわれています。
大久保が明治後に前嶋密に建白書の存在を打ち明けます。
その際に建白書の名前の前嶋来輔は自分だと言った逸話が残っています。




東京が首都になった理由は自立できないから

ここで、前嶋来輔の建白書に逃すことができない項目があります。

『幕府を失った江戸は廃れる』

この項目は東京が首都になった理由の一つです。
黒船の来航以降、江戸は煙が消えたように不景気になります。
江戸幕府は諸外国からの日本国防の為に、参勤交代を廃止します。
これによって、諸大名は江戸に行かなくてよくなります。
これが江戸経済を衰退に追い込んでいきます。
諸大名とその家来は国許に帰って国防の為の戦備を進めます。
これは徳川家康以来の幕法の崩壊です。

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加賀前田藩の江戸勤務人数は約7000人

江戸幕府は1万石で300人の兵力を雇うように決めていました。
前田藩は戦時には102万石なので30600名の兵隊を整える必要があります。
そのうち7000人は江戸に常駐していたといわれています。

幕末の日本の石高は3000万石近くあり、江戸出張組は21万人いたと計算できます。
その人員の出張維持のために10万人ぐらいが働いていたでしょう。
その30万人近くの人口が国許に帰ったことになります。

江戸人口100万人が人口が70万人ぐらいになり消費も激減します。

宵越しの金を持たなくても良い守られた江戸

江戸は開府以来、『宵越しの金は持たない』といわれていました。
これは明日も仕事があるからお金の心配はいらないという意味です。
全国の諸藩士が出張していた状態だったことが理由でしょう。
これは地方が江戸を支えていたということですね。


税金の分配率は中央:地方は7:3


明治維新政府は強力な中央集権制を敷きます。
全国から集めた税金を東京を中心に使っていきます。

今の日本は中央集権制で中央(東京)と地方の税金の分配率は7:3といわれています。
この分配が5:5であれば、フェアでしょう。
しかし実際は2割も多く中央から地方へお金が流れている構図になっています。

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東京でよく聞く『できちゃったので』という言葉

余談です。あくまでも余談です。

『〇〇をやってみたら、できちゃいました』。
この言葉私はよく聞きます。
私はこの言葉は東京にお金が集まっているからだと思います。
地方社会ではちょっとした思い付きでは事業は成功しません。

宵越しのお金を持たない。
やってみたらできちゃった。

この二つのワードが江戸が地方に依存している結果だと私は思っています。

東京が首都になった理由を考えてみました。

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