江戸時代は260年続きました。
江戸期日本の人口は2000万人から3000万人に増加したといわれています。
この260年間の間に地域はどのように変わったのでしょうか。
1598年の太閤検地と明治5年(1872年)の石高の変化を紹介します。
また、1721年と1872年の人口も合わせて紹介します。
今回は近畿を紹介します。
畿内の人口の変化
畿内とは山城・大和・摂津・河内・和泉の五か国を指します。
1721年、人口は224万人・明治5年202万人です。
近畿は江戸中期以降、人口は減少しています。
全国的には増加傾向にあった人口が畿内では減少しています。
山城国の江戸期の石高と人口の変遷
石高 1598年 22万石
1872年 22万石
人口 1721年 56万人
1872年 42万人
米の生産量はほとんど変わっていません。
一方で、人口は28%も減少しています。
幕末の戦乱は人口を減少させたでしょう。
また、明治以後の東京への首都機能の移転もあるかもしれません。
大和国の江戸期の石高と人口の変遷
石高 1598年 44万石
1872年 50万石
人口 1721年 41万人
1872年 41万人
人口は変わらず、石高は11%ほど増加しています。
摂津国の江戸期の石高と人口の変遷
石高 1598年 35万石
1721年 41万石
人口 1721年 80万人
1872年 72万人
摂津国は畿内屈指の人口を誇ります。
石高は15%ほど伸びていますが人口は10%減っています。
河内国の江戸期の石高と人口の変遷
石高 1598年 24万石
1721年 29万石
人口 1721年 24万人
1872年 23万人
河内国は石高は20%ほど増加していますが、人口は微減しています。
和泉国の江戸期の石高と人口の変遷
石高 1598年 14万石
1721年 17万石
人口 1721年 21万人
1872年 20万人
和泉国は石高は20%増加していますが、人口は微減しています。
江戸期は畿内よりも他の地域の方が、人口・農業生産力も増加しています。
一方で、この数値でわからないのは商業力ですね。
また、一人当たりの生産量などもこの数字ではわかりかねます。
近畿だけを見ると、江戸期は人口・農業生産力は微増だったといえるでしょう。
ただし、全国を見ると、見違えるように農業生産力があがった地域も存在します。
近畿は天下の台所大坂の近郊という強みもあり、僻地よりも経済力は安定しています。
また、どこかが飢饉に陥っても畿内全体では比較的安定していたのではいかと思います。
奈良の農村部などは家屋も豊かですね。
自然災害が少ないことが非常に有利な環境だったと思います。
江戸期の地域経済力について・・畿内編を紹介しました。