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奈良市長仲川げん氏の12年を語る・恩を仇で返したならまち振興財団の解体

奈良

奈良市長仲川げん氏の12年を語る。
お陰様で第7回目までたどり着きました。

奈良市長仲川げん氏の12年を語る・恩を仇で返したならまち振興財団を紹介します。

 

行き場を失った奈良NPOセンターを受け入れたならまち振興財団

これは仲川げん氏が奈良市長になる数年前の話です。
奈良NPOセンターは元々は東大寺の境内に事務所があったそうです。
しかし、何かの理由でそこを立ち退かなくてはならなくなりました。

小さなNPO法人が簡単に場所代を払って借りれるような場所は少なかったでしょう。
NPOの代表の仲川順子氏が藤原市長に頼んだのでしょう。
奈良NPOセンターはならまち振興館(現奈良町南観光案内所)に入居します。

家賃の話は闇の彼方へ

私がならまちで活動を始めた頃はならまち振興財団の事務所はならまち振興館にありました。
私は当時、奈良町座というまちづくり団体に所属していました。
奈良町座とならまち振興財団は協力関係にあり、机や椅子などを借りに行っていました。

それが2007年ぐらいに、ならまち振興財団から奈良NPOセンターに変わっていました。
不思議だったので、仲川げん氏に聞いたことがありました。

「家賃払ってここに入れてもらった」と。

ならまち振興財団はならまちセンターの3階に移動していました。
事務所を移動する、また管理している施設に入居者を入れる。
この作業は大変だったでしょう。
私は仲川げん氏がそこで養蚕をしていたのを覚えています。

ちなみに、ならまち振興財団の職員さんに家賃の相場を聞いたことがありました。
「我々はもらっていない」と。

ならまち振興館に出る幽霊の話

仲川げん氏は、ならまち振興館に幽霊が出ていたと後に語っていました。
夜20時ぐらいになると、女性が廊下を歩いていくと。

一度、建物内をすべて見渡したそうです。
しかし、いなかったそうです。

仲川氏は実はオカルト好きで、疲れると憑かれるは同じ意味だとよく言ってました。
市長のオカルト好きな話はまた余裕があれば書こうと思います。

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市長に就任後、ならまち振興財団に執拗な圧力をかける

そんな仲川氏は市長就任後に掲げた看板政策の一つが外郭団体の一本化でした。
経理などを統合すれば、効率化が進みコストもカットできるという考えでした。

ならまち振興財団は基本的にならまちの行政施設の管理を行っていました。
施設を跨いで町全体で行うイベント「ならまちわらべうたフェスタ」なども主催していました。

わらべうたフェスタの日は、子供の無礼講が許されるようなならまちに変わります。
普段、バーをやっているようなお店が駄菓子屋さんになったりします。
子供の時に来て、大人になって子供を連れてくる親も多かったイベントです。

仲川市長はそのならまち振興財団の解体を進めます。
ならまち振興財団はその後、奈良市総合財団に統合されます。
それでもかつては奈良市のならまち振興の核となった組織です。
統合後も職員の方々が地域への責任の遂行のためにならまち振興事業部門を作り運営されていました。

奈良市長肝いりの観光経済部奈良町にぎわい課の設置

ならまち振興財団の解体と共に始まったのが奈良町にぎわい課の設置です。
これからは市長直轄の部署がならまち振興を行います。
(にぎわい課の話はまた別の項で紹介しようと思います)

そして、奈良市総合財団ならまち振興事業部門の監視を始めます。
なんと、奈良町にぎわい課のある鳴川の事務所に奈良市総合財団のならまち振興事業部門を入れます。
同じフロアに、二つの異なる組織が同居します。

そして、数年かけて、奈良市総合財団のやっていたことを調べたのでしょう。
そして、その後、奈良市からの命令でならまち振興事業部門は解散しました。

恩を仇で返す奈良市長仲川げん氏

奈良市にとって外郭団体とは下請け会社のような印象でしょう。
時代の流れの中で変化は必要だとは思います。

しかし、36万人の市民の代表が市長です。
市長はかつて自分がお世話になった団体に対して何かやり方があったのではないかと思います。
私は、人の上に立つ者は、人として仁がないといけないと思います。

お世話になったら感謝の気持ちを伝える。
立場や事情が変わっても、仕事で対立することになっても誠意を込めて接するべきです。
何十年と職務でプライベートでも関わっていた多くの職員さんの思いはどこへ行ったのでしょうか。
市長という立場でもっと良い方向にできなかったのか・・。

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その後の話

なお、奈良NPOセンターは、仲川げん氏が奈良市長就任後に引っ越します。
さすがに市長の管理化にある施設に前職場が家賃を払わずに入居していることが問題だったのでしょう。
家賃を払っていれば、それは関係なかったとは思いますが。

ならまち振興財団は解体されて消滅してしまいました。
改革という名の下にとならまちがばっちりを受けたような印象でした。

これにより、ならまちの多くの住民は気軽に相談にいける場所を失います。

奈良市長仲川げん氏の12年を語る・恩を仇で返したならまち振興財団の解体を紹介しました。
第8回目は、仲川げん氏の人事について書きます。

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