奈良市長仲川げん氏の12年を語る。
今回は第22回目となります。
今回は仲川市長が肝いりで行おうとして失敗した文化事業を紹介します。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・挫折した花街の復興について紹介します。
明治期から始まる元林院の花街
猿沢池の西南部に元林院と呼ばれる地域が存在します。
明治以降、奈良は内務省の殖産興業・陸軍の軍需産業に支えられて発展します。
江戸期庄屋を勤めた家は大地主として資本を握り、各地で産業振興が進みます。
その結果、生まれてきた富裕層が楽しみにしたのが元林院の花街でした。
しかしお座敷文化も他の文化の興隆と共に、少しずつ衰退していきます。
電車や車で気軽に京都・大阪に行けるようになったのも岐路になったでしょう。
盛時200人ほどいた芸妓は現在は5人となっているようです。
文化事業ができる市長になりたかった仲川げん氏
2014年2月には全国に名をとどろかせた奈良大茶会珠光茶会が成功します。
行政が一番苦手とするのが文化事業です。
市長はこれに気を良くし、次のプロジェクトに取り掛かります。
それが元林院花街の復興でした。
2014年4月に元林院の復興を討議する懇話会を開きます。
市長の方向性
2014年5月16日の奈良新聞の記事には以下のように書いてあります。
市は元林院に伝わる伝統芸能も含めた復興を図り、宿泊型観光を増やそうと、本年度から猿沢池周辺の観光振興に力を入れている。仲川市長は冒頭のあいさつで「元林院に光を当てることは奈良活性化の大きな可能性を秘めている」と活発な議論に期待を寄せた。
市は9月のなら国際映画祭に合わせ、元林院周辺でお座敷体験イベントや日本舞踊の披露を計画。元林院のにぎわいづくりを市全体の観光振興につなげたい考えだ。
花街の復興に必要なものとは
私は京都西陣の帯製造元の仕事を4年程行ってきました。
その製造元のご主人は上七軒や多くの花街の世話役をされていました。
一度、連れて行っていただいたことがあります。
1名6万円でした(出していただきましたが)。
月に3回も4回もその金額を出すことができる人が奈良に何人いるのか。
そして1時間で行くことができる祇園や先斗町などに対抗できるものを形成できるのか。
そう考えると、奈良は地域経済の規模の限界があるように思いました。
市長にも、こういう事情があるからこういう事業は簡単にやらない方が良いと釘を刺しました。
そうすると、面白いことに全くその話が入ってこなくなります。
仲川市長の事業が3年も続かない理由
そして、何年か形にならないまま歳月が過ぎます。
気付けば、市長はこんなことは忘れて次のやりたいことに夢中です。
物事は思い付きではなく、事前の調査が必要なのは当たり前です。
しかし、その当たり前をやらずにマイクを握った時の感覚で話してしまいます。
文化事業のできる市長というのはそう簡単な事ではないですね。
そして、新しい物を生み出して自分の手柄にしたいはやる気持ちがあります。
周囲は疲弊していく一方ですね。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・挫折した花街の復興を紹介しました。
次回は第23回目です。
次回は奈良町・ならまち問題を書きます。