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同窓会は夢の中

プライベート 太宰府

平成11年 1999年 中学三年生。嫌な卒業式だった。
不良少年達に絡まれないように式が終われば速攻で帰宅。
実家に働きに来てくれていた奈良の職人Tさんが車で迎えに来てくれた。
式の最中は実家にアルバイトに来てくれていた人が目を光らせて。
卒業後、8月だったか同窓会を行った。
女子の強いクラスだったので、男子だけで行った。
その次からは女子も呼ぶようになった。

そんな中学でしたが、同窓生と夢で逢いました。
同窓会は夢の中。

会場は崇福寺の裏の森の中

学級委員のM君。
転職を繰り返して、ドローンの会社に勤めている。
そのM君が、次の事業として鶏肉事業に参入するとか。
僕はなぜか、太宰府にいて、その工場を見せてもらうことになった。
場所は崇福寺(別院)の裏の森の中。

鶏の匂いの出ない新しい構造の工場、無菌らしい。
そして工場内にはなぜか石灰が大量に撒いてある。

そこに料理屋をやっている?別の同級生が仕入に来ていた。
彼は父親が最近選挙に出たK君だった。

 

同窓会会場は鶏舎工場

この工場、昔は別の事に使われていたらしい。
鶏の部屋の隣はコンサートできる会館のエントランスのようになっていた。
広く長い階段の下が、大きな広場になっていて、そこで同窓会が始まった。

懐かしい同級生たち

20人程集まり、パーティーが始まった。
会場はなぜかちょっと暗く、しかしみんなリラックスした表情だった。
そのクラスには気の強い女子が3人いた。
高らかに何かを言い放って退出していった。

そこからが楽しい時間だった。
腕っぷしの強いラガーマンのY君、いつの間にかぶりっ子キャラのFさん、
穏やかな秀才女子で幼馴染のHさんもいた。
走り回るニックネーム「豆」のK君、小学生の時に転向してきた当時は人のよかったU君。
今は料理人をやっているらしいF君が調理場に立って、料理を作ってくれていた。

様々な事情の人が集まっていたクラス

気付くと、布団の中で目を覚ました自分がいた。
周りには一面に布団が敷かれていて、まるで修学旅行のようだった。
坊主で口を開けて寝ている人・男同士で手を繋いでいる人、
背の高い女子に抱き着いて寝ている女子など。

みんな色んな事情を抱えながら学校生活を送っていたんだなと、ふと思った。
そして目が覚めた。

当時の学校の担任は、非常勤講師でまだ26歳だった。
隣のクラスの友人から「〇〇」・「〇〇」と挑発して切れていた。
担任は、〇〇学会の人間で、選挙になると生徒の家に電話してくるような先生だった。

僕は実家が忙しかったので良く手伝っていたが、同時に学校は嫌で、休んでばかりだった。
先生は休んだ生徒を何とか学校に復帰させようと、欠席した日は理由を付けて、夜、家に来てくれていた。

今、考えると先生も色々事情を抱えていたんだろうなと思った。
先生は、翌年は近くのTSUTAYAでアルバイトしていた。

僕が中学を卒業したのはバブル崩壊後9年目。
観光地は不景気が5年程遅れてやってくる。
客単価が下がりつづけ、関連投資が伸び悩み、地元の企業にしわ寄せが来る。
そしてサラリーマン家庭にもその影響はあっただろうと今にして思う。
福岡も不景気だった。

僕は今、奈良で仕事をしていてそれなりに幸せに生きている。
ちょっと年上の知人にはコミュニケーションモンスターと言われたり、某新聞記者には孫キャラと言われたこともあった。
今、自分が人と人を繋ぐことで仕事を広げているのは、高校生の時に足しげく通っていた大徳寺のお陰だと思う。
地元とは違う世界を見て、社会での生き方を知ったような気がする。

ただ、中学生の自分を思い出すと、今はそこから逃げたくてここにきたような気がしている。
同窓生は今、何をしているのだろうか。
夢の中では笑顔を見せてくれていた。

夢の中で見た同窓会でした。

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