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日給300円の製菓工場の怪

プライベート

夢の中の話なのか、記憶の中の話なのか。
日給300円の製菓工場の怪を紹介します。

郊外の製菓工場

その製菓工場は、日本を代表する神社の参道にある製菓店の工場です。
製菓店から1km程離れています。
製菓店の先代が事業に成功して郊外に家と工場を立てて移り住みました。
大して上流のない小汚い川の隣でしたが、その場所を決めたのは主人の妻だったそうです。

バブル真っ盛りの製菓店

時代はちょうどバブル最盛期。
作れば売れる・作れば売れるという時代だったでしょう。
製菓店の先代はある原材料を使えば業界では右にいるものはいないといわれていたとか。
時代を代表する茶人がお礼の手紙をわざわざ送ってきて菓子にであった感動を伝えてきたとか。

その先代は少し前に逝去しており、妻が代表を務める製菓店。
名のある先代の威光と有名神社の参道の立地が製菓店を繁盛させます。

正月などは、町全体で車の渋滞が発生するため、リヤカーで店舗まで菓子を運んでいました。
そんな家に生まれた男の子がいました。

工場の棚の透明の引き出し

工場が忙しくなると、親族が総出で駆り出されます。
ただし、物の役に立たなさそうな人間は呼ばれません。
その男の子も、父親に言われ手伝いに参加します。
1日9時~16時ぐらいまで手伝えば、お小遣いがもらえます。
そのお小遣いは工場の棚の透明の引き出しに入っています。
しかし、子供には手の届かない場所にありました。

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日給300円の小学3年生

1日6時間程、仕事を手伝えば小学3年生でも300円もらえることがありました。
今考えると、児童虐待も甚だしいようにも思います。
しかし、時代はまだ余裕があるおおらかな時代だったでしょう。

駄菓子屋で奢る

近所には当時、小さな駄菓子屋がありました。
8畳もないぐらいの小さな駄菓子店。
家が商売をやっていて親にほったらかされていた子供の集う駄菓子店。
学校にもなじめず、友達も少ない、ただ親からお小遣いをもらう商家の子供たち。
そこにいくと、100円もあれば、いろんなものが買えました。

300円も持っていくと、一躍ヒーローです。
うまいぼうを来ていた友人達に奢っても50円程です。
男の子はそこでお金を使えるのが何よりも楽しかったでしょう。

駄菓子店のおばあさんはたまにハワイに行ったりしていたとか。
駄菓子屋でお金を使うとなぜか親に怒られる子供ばかりだったとか。

労働者に悩まされる現代の経営者。
そのおおらかな時代と時間軸で繋がる現代社会をどう消化するのでしょうか。

現代人は口々に言います。
『昔はよかった』

本当に昔は良かったのか。
ただの良い時代への懐古主義に陥っていないのか。

日給300円の製菓工場の怪を紹介しました。

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