徳川は北条との講和において甲信は徳川・関東は北条という取り決めをしました。
真田は徳川に臣従したため、徳川は真田に真田領の群馬沼田の北条への引き渡しを迫りました。
それに対して、真田昌幸は沼田はもともと真田が独力で手に入れた場所で、差し上げるべきものではないと拒否しました。
徳川は実力で割譲を迫るべく、真田の上田城に押し寄せます。
上杉の援軍が来た意義・・
信繁(幸村)は上杉に人質に行き、上杉との同盟を作ることができました。
そして奇跡を演じました。
なんと上杉の援軍を連れてきました。
人質に兵隊をつけて送るとはやはり上杉は義理堅い・・
しかし、その援軍は子供や老人ばかり・・
この場合、この援軍は直接軍事力にはなりません。
しかし、重大な意味があります。
上杉家が背後にいるということになります。
上杉家の「毘」の旗が援軍の頭上に躍動したでしょう。
それはいわば真田と連携して背後から襲う可能性を否定できないということですね。
上杉は実際には謀反を起こした新発田と戦っている状況です。
しかし徳川は詳細には掴んでいなかったでしょう。
上杉からの援軍は3000-50000もいるかもしれないと思ったでしょう。
さらには徳川の兵隊は山梨や長野の兵隊ばかりです。
ほんの10年前まで武田勢として上杉と戦っていた連中です。
上杉が来るかもしれないという心理的不安は記憶に残っているでしょう。
一度、戦争に出た人間は、その中の光景を忘れないと言われています。
まして、相手は日本最強と言われた上杉勢。
さらに敵大将は武田信玄の薫陶を受けた真田昌幸・・
この段階で約7000名の徳川勢は2000の真田勢を全滅させることができないことがほぼ確定します。
普通、城攻めは敵の3倍の兵隊がいると言われていたそうです。
上杉の援軍を合わせると互角に近くなる可能性もある・・
ここにもひとつの心理があります。
徳川首脳陣の心理と兵隊の心理
徳川勢から見れば、真田など小さな相手でひねりつぶせばよいという発想になります。
家康もそう思っていたでしょう。
トップがそうである以上、家来もそうでしょう。
上杉という恐怖を少し意識の中に持っている兵隊。
大徳川が小真田をひねりつぶすという意識を持ってしまっている徳川の将校。
大将も部下も一つの心理の中で戦わなければ勝利などないです。
しかし、もう戦う前からこれだけの事情を抱えた徳川勢は見方を替えれば、負けるべくして負けたと言えるでしょう。
一方の真田勢は自分達が小勢であるということで団結していたでしょう。
それだけでなく、自分の大将は武田信玄が薫陶したと言われる真田昌幸。
上杉の援軍もちょうど来たという報告もはいる。
そして、昌幸も信幸も信繁(幸村)も脂の乗ったいい年齢ですね。
真田勢にはエネルギーがみなぎっていたのではないでしょうか。
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