地域活性局

藤丸正明

真田信繁の軌跡を探しに大坂の茶臼山に行きました

茶臼山。日本地図を見ているとたまに見かける山の名前ですね。

茶臼とはお茶を引く臼を指します。

形は台形のようなといえばよい感じでしょうか。

この茶臼山。古墳らしいという説があり、何でも埴輪などが出てきたことがあるとか。

考古学関係の方には興味深い話だと思います。

スポンサードリンク

そして、大坂の茶臼山は豊臣秀頼と徳川家康が戦った大坂の陣の舞台でもあります。

茶臼山は豊臣期の大阪城城外の南南西の場外にあった小高い岡のような山です。
現在は天王寺動物園の東側に位置します。

2016-04-14 13.05.46

大坂冬の陣の時、徳川家康がここに陣を敷きました。

大坂冬の陣では主な戦場はこの南側に集中しました。

徳川方では家康・息子の秀忠を始め、伊達政宗・前田利常・藤堂高虎などが布陣します。

豊臣方では大坂城南側城外すぐに造られた真田丸に籠った真田信繁や明石全登・大野治長などが布陣します。

真田丸を巡る攻防戦は真田VS前田の北陸甲信越ダービー?でもありました。

真田信繁と前田利常は小田原北条征伐の時には同じ軍に所属していました。

結果は前田家の惨敗でした。

スポンサードリンク

当時、籠城一家として真田家に勝る家はなかったでしょう。

前田隊は真田に巧みに挑発されます。

そして真田丸に突撃して猛烈な射撃に合った後に真田隊の突撃を受けて崩されました。

2016-04-14 13.10.49

真田丸で真田信繁は大いに戦勝します。

しかし、冬の陣は結局は徳川方から巧みに仕掛けられた講和に応じてしまいます。

その結果、豊臣方はお城の機能を亡くしてしまいます。

そして、夏の陣を迎えます。

お城の掘を失った豊臣方はやはり大阪城の南部に布陣し、徳川方を待ち受けます。

夏の陣の主戦場もこの南側になりました。

2016-04-14 13.09.51

冬の陣で家康が布陣した茶臼山は夏の陣では真田信繁の陣地となりました。

ここでも信繁は十分に相手を引き付けて射撃をしたのちに突撃を計画しました。

しかし、実際には配下の武将が引き付ける前に射撃を始めてしまうことで戦争がはじまります。

難しいですね。

信繁は徳川方の前線部隊だけでなく家康本体もできるだけ肉薄した後に突撃をしたかったのでしょう。

スポンサードリンク

信繁は悔しかっただろうなと思います。

しかし、この茶臼山からの信繁の突撃は家康の本体を大混乱に陥れます。

大河ドラマの最後のクライマックスになるでしょう。

今、茶臼山は公園になっています。茶臼山から見える風景に通天閣がありました。

2016-04-14 13.07.41

茶臼山の池から西側を望むと通天閣が見えました。

公園では将棋に勤しむおじさんたちも3名程いらっしゃいました。

また、信繁の軌跡を見て歩く主婦も多かったです。

堺雅人効果ですね。

大河ドラマの効果をまざまざと感じました。

メールマガジン「奈良・ならまちニュースレター」発行しています

有料メールマガジン「地域活性化のヒント」発行しています

LEAVE A REPLY

*

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。