太平洋戦争の記憶 敗戦を迎えた祖母が次の日に感じたこと

太平洋戦争の記憶 歴史

シリーズ太平洋戦争の記憶。

今回は祖母から聞いた話を書きます。

太平洋戦争の記憶。終戦を迎えた祖母が次の日に実感したこと。

1945年8月15日。

その日、祖母は午後のラジオ放送で玉音放送を聞きました。

戦争に負けた・・・。

今までの苦労は消え去った・・・。

これまで信じていたものがすべて壊れていく。

そんな瞬間だったそうです。

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もしかすると、明日は訪れないのではないか。

これからどうやって生きていけばいいのか。

そう考えると、その日、仕事どころではなかったそうです。

私の祖母は太宰府の旧市街、宰府(さいふ)の生まれ。

若い頃は福岡の老舗和菓子店に勤めていました。

そこで祖父と知り合います。

祖父はこの時、出征していました。

祖父はイギリス領香港攻略戦に参加し負傷。

そして負傷者として台湾の病院に入院します。

この時、祖父がどんなけがをしたのかは誰も知りません。

不名誉な負傷だったのでしょうか。

そこで偶然、東京の和菓子店勤めの頃のお客様に会います。

そのお客様は陸軍大将(最高幹部の一人)でした。

そして、和菓子職人が亡くなるのはもったいないと、後方部隊に再配置されます。

そしてボルネオに向かい、終戦を迎えます。

祖父には和菓子の神様がついていたのかもしれません。

祖父は帰ってきてからは天満宮境内の神社に参拝していたそうです。

中島神社。はお菓子の神様です。

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祖母は当時、祖母の父と一緒に住んでいました。

明日からどうするのか。

そんなことが午後の放送からずっと脳裏によぎっていました。

 

人間、生きていると嫌なことも当然あります。

自分が否定されて、大海に漂ったような気持ちになることもあります。

しかし、自分が所属している社会が否定される。

そのことは今では想像ができないですね。

特に、戦前は、国民を国家が統制していたと思います。

「ほしがりません勝つまでは」

こんなスローガンが国民を奮い立たせていました。

それは戦争という国の存亡をかけた戦いに勝つためですね。

私の祖母はそれに従順な一人の女性でした。

 

日が暮れて、そして日が明けます。

8月15日の夜。

祖母は寝ることができませんでした。

そんな祖母は、毎日の日課であるお参りに行きます。

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太宰府天満宮。

太平洋戦争の記憶。8月16日。

 

敗戦を迎えた祖母が次の日に感じたこと。

それは次の日もまた日本は日本だったということでした。

朝早く、太宰府天満宮に向かった祖母は目にします。

そこにはいつもと何も違わない神社の姿だったそうです。

掃き清められた境内と厳かな本殿。

日本は戦争には負けたけれど、まだまだこれから。

当時30歳の祖母はそう思ったそうです。

太平洋戦争の記憶。

祖母の8月16日のお話しでした。

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