戦国時代最大の奇襲といえば桶狭間の戦いです。
桶狭間の戦いとは今川義元と織田信長の戦いです。
当時の織田信長の動員力は約5000名。
対する今川義元は20,000近い動員力があります。
普通に戦えば、織田方に勝ち目がありません。
しかし、実際の桶狭間の戦いは織田が勝ち、今川が負けました。
桶狭間の戦いで今川が負け、織田が勝った5つの理由を紹介します。
今川義元とは
駿河(静岡県東部)今川家当主、今川義元。
今川家とは足利家の一門、吉良家の分家です。
足利家に跡目がいない場合は吉良家から、吉良にいない時は今川からといわれていました。
家柄は申し分がありませんでした。
彼は5男ですが、そこは強運の持ち主で当主となります。
駿河・遠江の国を治め、三河(愛知県東部)を傘下に治めました。
甲駿相三国同盟
彼は一つの大きな外交成果を残しています。
それが甲駿相三国同盟です。
甲斐(山梨)の武田、相模(神奈川の一部)の北条と、駿河(静岡県東部)今川家は同盟を結びます。
北の山梨と東の神奈川を味方にします。
南側は海なので、あとは西へ向かうのみですね。
背後に愁いをなくしたうえで、足利家の要請に応じて上洛するべく軍を起こします。
その総勢は2万人とも4万人ともいわれています。
今川義元は当時41歳。
まさに人生の絶頂期にいたことになります。
織田信長
一方の織田信長。
彼はまだ25歳。
家督を継いで悪戦苦闘の日々。
織田家の動員力は総勢で5000名。
おおよそ4分の1です。
しかし、織田信長には一つだけ自信の元になることがありました。
それは父の信秀が今川と戦って勝ったことがあることです。
この時代、縁起を担ぐ人が多かったといわれています。
信長も起死回生を狙ったときに自信のよりどころにしたでしょう。
この二人が桶狭間の戦いで激突しました。
桶狭間の戦いで今川が負け、織田が勝った5つの理由を紹介します。
1油断していた今川義元
今川義元は織田家の前線が崩壊した報告に気を良くしていました。
また、彼は極度の肥満で、出陣の際には落馬したといわれています。
織田の小僧など・・。
という油断が当日の大雨とともに悪夢となります。
今川義元はかつてない大軍を率いている安心から油断していたでしょう。
2織田信長は前から作戦を十分に練っていた
信長はこの時期の天候などを読んでいたといわれています。
今川本体(5,000)の行動を十分に把握しつつ、その時期を待ちます。
そして信長は今川本体に近づくために、山中や山間を巧みに使って近づきます。
そして、大地をたたきつけるような大雨が降ります。
その大雨が止んだ途端に突撃します。
今川方は突然の大雨に遭い、右往左往しているうちに義元を打ち取られました。
2-3キロ離れて行軍している味方にはまったくわからなかったそうです。
そして信長は義元の首を取るとすぐに帰城しています。
他にも信長は今川本体の居場所を突き止めた梁田という侍を恩賞第一にしています。
信長は義元だけを狙うという考えを最後まで徹底していました。
3今川は近隣を従えたが、直轄化はできていなかった
今川は近隣の諸大名を従えましたが、完全に直轄化できていませんでした。
傘下の各大名は各々、命令通りに動きます。
徳川家康(松平元康)のように命令に忠実に従って動いていると、
後方から義元討死の報告が来たというような状況だったのでしょう。
一方の織田軍の方は、基本的に貨幣で兵隊を養っていたといわれています。
信長の命令の元に全速力で駆けていく組織力があったでしょう。
実際にその全速力が織田を勝たせました。
4有力な側近がいなかった
今川義元にはかつて優秀な軍師がいました。
太原雪斎。禅宗の僧侶として政治・外交・軍事となんでもこなせる軍師でした。
彼は1555年、つまり桶狭間の5年前には死去してしまいました。
太原雪斎がいれば、もっと注意深く駆け引きをしていたでしょう。
今川は代々続く名門なので門閥等が牛耳っていたのでしょう。
一方の織田軍。後に全国を席捲するメンバーが既に揃っていました。
柴田勝家や前田利家・佐々成政や池田恒興などが既に信長の側近でした。
5今川は遠征に慣れていなかった
今川家は遠征の経験があまりありませんでした。
そして、距離を見ると、実は結構な距離を行軍しています。
静岡から桶狭間まで。
実に157kmの道のりです。
そして、6月は時期としても農業の時期に差し掛かります。
本当に京都まで登ろうとしていたのかどうか。
ここは研究家によって意見が分かれます。
一方の信長は那古屋城から桶狭間まで20km足らずです。
乾坤一擲の突撃が可能な距離ですね。
いかがでしょうか。
諸説あることもあり、明確に断言することは難しいと思います。
しかし、実際には上記のような課題があったでしょう。
桶狭間の戦いで今川方が敗れ、織田方が勝った5つの理由を紹介しました。