鳥取観光の穴場インド趣味の領主が作った美しい鹿野がおすすめ

視察 鳥取

鳥取は全国でも7番目に小さな都道府県です。

そんな鳥取に鹿野(鳥取市)という素敵な城下町があることを御存じでしょうか。

インド趣味のあった領主が築き上げた鹿野の町が広がっています。

鳥取観光の穴場インド趣味の領主が作った美しい鹿野の町並みを紹介します。

 

山陰の戦国大名尼子氏と尼子十勇士

戦国時代、山陰には戦国大名尼子氏が盤踞していました。

毛利元就の巧みな調略に乗せられて弱体化し、崩壊します。

しかし、その尼子氏の再興を掲げて戦った人たちがいます。

山中鹿之助を筆頭10人の武将、尼子十勇士です。

織田信長の援助を受けて戦いますが、再興を賭けた上月城は落城。

ほとんどの武将は討ち死にします。

しかし、1人生き残り、イキイキと時代を生きた武将がいました。

今回はその武将が作った城下町で今でも素敵な雰囲気の残る鳥取の穴場観光スポット鹿野町を訪ねました。

 

 

インド趣味のあった領主が作ったおすすめの観光スポット‘鹿野’

鳥取市から車で25分ほど西に走ると、田園の中にきれいな町並みの残る鹿野町があります。

かつては独立した自治体でしたが、今は鳥取市に編入されています。

この鹿野の町は、戦国武将、亀井滋矩が鹿野城と共に整備しました。

亀井滋矩はちょっとエキゾチックな趣味のあった人です。

お城の名前を王舎城と名付けました。

司馬遼太郎さんは、彼のことを南蛮趣味というよりはインド趣味と指摘していました。

鹿野城の背後にそびえる山には鷲峰山(じゅぶぜん)

城下町を鹿野苑(ろくやおん)

城下町を流れる川を抜堤川(ばったいがわ)と名付けました。

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鹿野城跡

鹿野城は二つの河川に挟まれた山脈の一番北側の最後の斜面にあります。

鹿野城の築城は1582年。

亀井滋矩は1600年に関ケ原後に3万8000石となったため、鹿野城をさらに近世城郭へ再築城していきます。

鹿野城は148mの地に本丸があり、そこから二ノ丸(現鹿野中学校)・三ノ丸と設計されています。

鹿野城の堀

鹿野城二ノ丸(現鹿野中学校)は濠で囲まれています。

ふと、濠の中をみると鯉がたくさん集まってきます。

 

鹿野城へはこの駐車場がおすすめ

鹿野城二ノ丸跡のすぐ近くに観光用の駐車場がありました。

駐車場は無料でしたので、こちらがおすすめです。

15台ほど停めることができます。

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鹿野の幸盛寺には山中鹿介幸盛のお墓がある

3万8000石になった亀井滋矩ですが、彼はある人物を忘れませんでした。

それが山中鹿介幸盛です。

山中鹿介幸盛といえば、尼子十勇士の英雄です。

また、亀井滋矩にとっては、山中鹿介幸盛は妻の兄にあたります。

山中鹿介幸盛の子孫は江戸期の豪商鴻池になっていくそうですね。

亀井滋矩は山中鹿介のお陰もあって出世しました。

それを忘れなかった亀井滋矩は鹿野に山中鹿介幸盛のお寺幸盛寺を建立します。

私は亀井滋矩のこのようなところにとても惹かれます。

鹿野の城下町

鹿野の城下町は落ち着きのある佇まいがとても素敵です。

派手過ぎず、しかし、地味でもない。

歩くだけで何か心が落ち着きました。

鹿野の城下町の落ち着きはまちあるきにとてもおすすめです。

鳥取のまちあるきは倉吉なども人気のようですが、鹿野も穴場的風情があってよかったです。

一般に、5万石以下の城下町の方が町並みや風情は残っています。

そういう意味でも当初4万石前後だった鹿野はまちあるきが楽しいです。

鳥取観光の穴場はインド趣味の領主が作った美しい城下町鹿野をおすすめします。

鹿野町の情報は鹿野往来館がおすすめ

鹿野の城下町の中に、鹿野往来館という施設があります。

おそらく地域おこし拠点のような形です。

店内にはカフェやお土産ショップもあります。

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