酒井忠次の家系や子孫・井伊直政との関係や大河について

井伊直虎

徳川家筆頭家老といえば江戸時代は酒井家を指しました。

大河ドラマおんな城主直虎でも酒井忠次は主要メンバーとして登場します。

酒井忠次の家系や子孫・井伊直政との関係や大河について紹介します。

酒井忠次の家系は徳川家康と同じ先祖で繋がる

酒井氏は鎌倉幕府の文官大江広元を祖に持つといわれています。

その後の変遷で、酒井忠次の家系は徳川家康と繋がります。

一説によると、家康の祖先遊行僧の徳阿弥に関係します。

徳阿弥は松平郷で家康の先祖を作ったのち、酒井氏のもとでも子孫を作ったそうです。

徳川と酒井は同じ先祖ということになります。

酒井忠次は徳川家康より15歳年長です。

また、徳川家康の叔母を正室に迎えています。

酒井忠次は家康の叔父になりました。

 

酒井忠次と石川数正・榊原康政・井伊直政

酒井忠次は徳川家の筆頭家老でした。

酒井忠次と石川数正は共に家康の両腕として活躍します。

徳川家康が三河統一後、軍勢を2つに分けたといわれています。

西三河衆は石川数正・東三河衆を酒井忠次に任せます。

ここで酒井忠次は徳川家の主に東側担当になります。

酒井忠次は今川・武田・北条などが担当になります。

酒井忠次と石川数正は共によく家康を支えます。

特に徳川信康事件などの曲折の後も協力して徳川家を支えています。

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酒井忠次と徳川信康事件

徳川事件における責任を酒井忠次に問う声があります。

それは、織田信長への申し開きを酒井忠次ができなかったというのが理由です。

しかし、徳川信康の後見役は石川数正です。

問題があれば解決する役は石川数正でしょう。

私は徳川家康の指示で徳川信康は処罰されたと考えます。

でなければ、信康事件以降も家康が酒井忠次を重用しつづけた史実の説明ができません。

信康事件の後も、酒井忠次は徳川筆頭の地位を失いませんでした。

 

酒井忠次の子孫は徳川家康に嫌味を言われながらも筆頭譜代として残った

酒井忠次は徳川家康より15歳年上です。

酒井忠次の7歳年下が石川数正、21歳年下が榊原康政、34歳年下が井伊直政。

酒井忠次が62歳で隠居する際、家康に家次を挨拶に連れて行ったそうです。

その際に、「そなたも我が子の可愛さがわかったか」

と嫌味を言われた逸話があります。

徳川家康は信康事件のことを晩年まで根に持っていたという逸話です・・・。

隠居には眼病を患った説、他の家臣の台頭など様々な理由があったようです。

酒井忠次の子孫は後に出羽庄内13万8000石となります。

出羽庄内藩は何度も藩政危機がありました。

しかし、その都度うまく生き残りました。

また、酒井忠次の子孫では、孫の忠勝が著名です。

お酒にちなんだ面白いエピソードがありますがここでは触れません。

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酒井忠次と井伊直政・・・大河ドラマおんな城主直虎

おんな城主直虎では酒井忠次と井伊直政には少し距離があるように見えます。

しかし、酒井忠次は働き者の井伊直政を暖かく見守っていたようです。

井伊直政が家康の近習から出世できた理由には筆頭家臣の酒井忠次の存在があったでしょう。

大河ドラマおんな城主直虎では徳川信康が良い人として描かれています。

なので信康事件の発端の一つの酒井忠次には好意的に描かれていません。

その描写のために直虎でも酒井忠次と井伊直政には距離があるような気がします。

若い人ばかりの集団は若さゆえに時に躍進し、時に泥沼にはまります。

そんな若き徳川家康を冷静に支えてきたのが酒井忠次ですね。

徳川家康から見ると15歳年上の頼りになる叔父酒井忠次。

酒井忠次の家系や子孫・井伊直政との関係や大河について紹介しました。

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