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せごどんの解説・・勝海舟について

歴史 西郷どん

幕末・明治維新の傑作勝海舟。

何か慣れ慣れしい態度で吉之助に接します。

せごどんの解説・・勝海舟について紹介します。

せごどんの解説・・勝海舟は小男だった

幕末の傑作と言われている勝海舟。

利害を超えた考えで多くの人から慕われます。

せごどんでは遠藤憲一さんがキャストですね。

しかし、この勝海舟。

とても小男だったと言われています。

坂本龍馬や西郷隆盛と交流した人物です。

写真も残っていますが、とても端正な顔立ちの人物でした。

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せごどんの解説・・最期まで幕府を支え続けた勝海舟

勝海舟は徳川慶喜に嫌われます。

しかし、幕府内には偏見なしに情勢分析できる人物がいません。

徳川慶喜は幕末の重大な場面では常に勝海舟の手を借りていました。

長州大討ち入りでは敗戦の処理を勝海舟が担当します。

そして、江戸幕府最期の江戸城の開城。

徳川慶喜は再び勝海舟にすべて投げてしまいます。

勝海舟は西郷隆盛と二人で江戸開城を進めました。

勝海舟は後にこのようなことを言ったと言われています。

西郷隆盛が交渉に来た時にはひっとらえても良かった。

しかし、西郷は一人で来たからその誠意に圧倒されたと。

誠意には誠意で向き合うことで歴史が一つ前進しました。

せごどんの解説・・人を殺したくなかった勝海舟

勝海舟はなるべく人がなくならない方法をいつも模索します。

幕末の第一等の人物のほとんどが無用の殺傷を好みませんでした。

それは西郷隆盛も坂本龍馬も勝海舟も桂小五郎もそうですね。

人を殺すことで解決することはないと考えていたのでしょう。

幕末は暗殺の多かった時代です。

しかし、このようなリーダー達の考えの上に明治維新は成り立ったんだと思います。

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せごどんの解説・・西郷隆盛の征韓論を否定した勝海舟

さて、勝海舟の明治以後の西郷隆盛との逸話を紹介します。

西郷隆盛は明治政府では陸軍大将として存在します。

そんな西郷は朝鮮への征韓論の主要人物となります。

その当時の海軍の主要人物として征韓論に反対します。

勝海舟には、朝鮮に西郷がいう外交が通用するとは思わなかったのでしょう。

また、勝海舟は外交情勢を非常に冷めた感覚でとらえていたと言われています。

そんな勝海舟は西郷隆盛の最後の維新政府主要としての征韓論を否定しました。

勝海舟とは不思議な人物ですが、時代を前進させるときに必ず出てくるタイプの一人です。

また、坂本龍馬をはじめ多くの人を育ててますが、恩に着せるようなことはしない雰囲気ですね。

勝海舟はAB型だったと言われています。

 

せごどんの勝海舟について紹介しました。

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