せごどん32話の解説感想・・幕末を薩長が主導できた理由

歴史 西郷どん
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せごどんの解説・幕末を薩長が主導できた理由を紹介します。

せごどんの解説・・地植えの大名だった薩摩藩とその精鋭

幕末の主導権を握った薩摩藩と長州藩。
この2藩は全国でも珍しく、江戸期以前からその地の領主でした。

薩摩藩は鎌倉期に鎌倉幕府から薩摩・大隅・日向3か国の領主として赴任します。
それからずっと、幕末まで670年近く薩摩の地を治めていました。
薩摩の地では島津氏の地位は揺ぎ無い物だったでしょう。

また、税金が高い地域でした。
その高い税金で大勢の藩士を雇っていました。

また藩教育は貧しくても勉学ができなくても良い・勇ましくあれでした。
薩摩藩士は一人ひとりが勇ましくあるように教育されていました。
そして、強力な指導者が生まれた時にその人物を押し上げる仕組みができていました。

せごどんの解説・幕末の英雄斉彬に誘発された二人の指導者

 

幕末の少し前に、薩摩藩は藩の財政改革に大成功を治めます。

その成功した資金力のある時期に英邁な藩主島津斉彬が登場します。
西洋の良さを取り入れて軍事改革や産業振興に勤しみます。
この政策は若い薩摩隼人に凄まじい影響を与えます。

そこに誘発された二人の指導者。
それが西郷隆盛と大久保利通です。

藩士の尊敬を集める西郷。
その吉之助を中心に政治勢力を作っていった大久保。
外交に活躍する西郷・藩内政治をまとめ上げる大久保。
この二人の指導力に薩摩藩の教育思想が合致し、最強と呼ばれる藩体制ができあがります。

せごどんの解説感想・毛利元就と長州藩

長州藩は毛利氏です。

毛利氏は毛利元就以来、中国地方の覇王の地位を持っていました。
豊臣政権下の毛利氏の領土は山口県・島根県・鳥取県の一部、岡山県の一部、広島県でした。
しかし、関ケ原で負けたことにより、今の山口県に押し込められました。

毛利氏の家臣はこの時、約4万人いたと言われています。
領地は4分の1に押し込まれます。

普通は解雇するのですが、多くの家臣がその状況でも毛利氏に従いました。
34万石の毛利氏はその力の4倍の家臣を擁して開墾作業などに勤しみます。

その結果、幕末には米の収入は3倍にまで増え、塩等のその他収入も非常に多くなります。
長州藩はいつでも戦える姿勢をひそかに作っていました。

 

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せごどんの解説・・武力革命に成功した長州藩

そんな長州藩ですが、幕府との抗争に敗れ朝敵にされます。

八月十八日の政変と禁門の変ですね。
藩内の過激派の動きに流された結果、過激派の多くは討ち死にします。

そして、保守勢力(俗論党)が藩の政治を握って、幕府に降伏しました。
それを潔しとしない勢力が高杉晋作と奇兵隊等諸隊です。

高杉晋作は下関にて兵をあげて、やがて保守勢力を追討します。
ここに、長州藩は完全に革命勢力としての形を作り上げます。

せごどんの解説・・歴史を担うのは力のある組織

こうした薩摩と長州に二勢力は紆余曲折の後、強い利害関係で結ばれます。

共に藩政改革を成功させた実績と、充実した軍事力がありました。

まるで幕末に合わせてきたかのような実績を持つ薩摩と長州。
この力をつけてきた2勢力が時代の主導権を握っていくのはある意味当然だったと思います。

 

いかがでしょうか。

仙台の伊達家なども地植えの大名だったのですが、幕末は動きがありませんでした。
薩摩と長州は幕末には組織運動が非常にうまくなっていった一方で、他の藩は眠っていたようでした。

せごどんの解説・・幕末を薩長が主導できた理由を紹介しました。

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