Warning: count(): Parameter must be an array or an object that implements Countable in /home/naramachiinfo/www/fuzimaru/wp-includes/post-template.php on line 293

麒麟がくるに登場する松永弾正久秀の生涯と逸話

麒麟がくる

近畿の戦国中期以降すべて登場する大河ドラマ麒麟がくる。
主人公の明智光秀は足利幕府再興を掲げて邁進します。
しかし、近畿を取り巻く情勢は足利氏の思惑通りにはいきません。
そこには阿波徳島の三好家とその重臣松永弾正久秀が立ちはだかります。

麒麟がくるに登場する松永弾正久秀の生涯と逸話を紹介します。

松永久秀は25歳で三好長慶に仕えた

当時、近畿最大の勢力は阿波徳島の三好家でした。
大挙して海を渡り、近畿に上陸します。
三好氏は畿内での外交交渉等には細心の注意を払ったのではないでしょうか。

畿内は当時、日本で最も人口の多い地域であり、隣国との商工交流のある地域でした。
他地域のように米を中心とした農業基盤のみではありません。

同時にその経済の中には朝廷という特殊な存在もあります。
松永久秀は京近郊の出身(諸説あり)です。
三好氏は弁才さわやかで容貌の優れた松永弾正久秀を登用します。

三好政権の急拡大は内部分裂を行う

三好家は近畿最大の勢力細川家の重臣として活躍します。
京での権力争いに終始する主家を助けて時に領地の管理も行います。
しかし、縁の下の力持ちは主家の放漫さに耐えられなくなります。
その空気を見た細川側も三好家を排除しようと動きます。
松永久秀の主君三好長慶は京都守護代だった父を10歳の時に亡くします。

それから一時期、阿波に逼塞しますが実力を蓄えて18歳で京へ再進出します。
その後も細川家を支え続けたのですが、やがて自立を計ります。
三好長慶には優れた3人の弟と優秀な一族衆がおり、その覇業を支えます。
三好家の領土は摂津・河内・和泉・山城・阿波・淡路・讃岐と広がります。
さらに大和・播磨・近江などにも影響力を行使し始めます。
しかし、ここで主家の細川家と同じように内部分裂が始まります。
松永弾正久秀という人は外様でしたが、主君の三好長慶に親族以上に大事にされました。

三好長慶は若年にして病床に伏せてしまいます。
三好長慶には義興という非常に優れた後継者がいましたが若くして亡くなります。
久秀は長慶の意を組んでよく義興を補佐していました。

長慶は判断が利かなくなり、息子の政権に邪魔な弟たちの殺害を松永久秀に命じます。
やがて長慶も死去し、久秀は孤立を深めていきます。
そんな松永久秀と争ったのは長慶に殺された弟の子供たち、三好三人衆でした。
三好三人衆は長慶の養子で三好家当主の義継を擁立します。

しかし、義継はその三好三人衆が嫌で松永久秀の下に逃げ込むのですね。
こうやって三好家は2つに分裂して混乱し、力を急速に落とします。

 

織田信長の臣下となる

細川・三好が分裂騒動をしている間に尾張の織田信長が美濃を制圧します。
信長は6万の大兵力で上洛作戦を敢行します。

三好家の内部分裂のうち、当主義継と松永久秀は織田家に臣従します。
三好義継は河内半国を領し、松永久秀は大和の支配を任されました。

一方の三好三人衆は最後まで臣従せずに交戦します。

明智光秀の台頭と松永弾正の劣勢

松永久秀は織田政権の国持ち大名に出世します。
しかし、織田家にも多くの難題が押し寄せます。
主家を何度も変えた久秀からいうと、その勘が働いたのでしょう。
松永久秀は2度も裏切りますが許されます。
織田家は本能寺の変まで畿内を放棄することはなく、裏切りの度に地位を落としていきます。

大和国一国を任されていた松永久秀は、その地位をライバル筒井順慶に奪われます。
筒井順慶は興福寺衆徒の代表でいわば地元の代表です。
そしてその後ろに信長が一番信頼していた武将明智光秀がいました。
明智光秀の台頭に合わせて、松永久秀の地位が低下していきます。

かつて三好長慶が一番信頼していた松永久秀。
織田信長が一番信頼していた明智光秀の出現を見て、悟ったのでしょう。

また織田信長が追放した足利義昭を匿った三好義継が信長から追放されます。
松永久秀が長年培ってきた畿内の情勢は一気に終焉を迎えました。
この時、久秀65歳。
この情勢の変化に絶望したのではないでしょうか。

スポンサードリンク

松永久秀の最期と信貴山城の逸話

そんな松永久秀は最後は信貴山城で滅亡します。
上杉謙信の上洛の風評を聞いた松永久秀は最期の謀反に動きます。
しかし、上杉謙信は倒れて亡くなり上洛することはありませんでした。

松永久秀は信貴山城を織田の大軍に包囲されます。
中でも大和国の責任者だった筒井順慶は久秀配下の同郷の部下を寝返らさせます。

松永久秀が最期を迎えたのは10月10日です。
これはかつて松永久秀が三好三人衆との合戦で東大寺が燃えたのと同じ日でした。

松永久秀の最期は逸話では爆死したといわれています。
しかし、このような話は100年近く後に書かれた記録の話です。

松永久秀の能力

松永久秀は主人殺しとして著名です。
しかし、松永久秀という人は主君の危機を何度も救っています。
四六時中裏切り続けているわけではないんですね。
そして、松永久秀は軍事にも外交にも能力を発揮しています。

しかし、後背定まらぬ畿内の情勢に慣れ過ぎていたでしょう。
ただ、畿内には正規の武士以外にも非正規の傭兵が当時2万人もいたといわれています。
他にも雑賀衆や一向一揆などの勢力もありました。
情勢の変化を見誤るような状況が目の前に何度もあったのでしょう。
久秀は最期に生き残りに失敗したような印象です。

麒麟がくるでは松永久秀のキャラクターがいつもと違います。
怖い・恐ろしい・人を騙すというようないつもの設定ではありません。
なんとなく親しみやすい雰囲気を出しています。

僕は歴史上名を遺した人というのは基本的に魅力的だったと思っています。
麒麟がくるに登場する松永久秀の生涯と逸話について紹介しました。

スポンサードリンク
スポンサードリンク
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。