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麒麟がくる6回の感想・・藤孝が光秀の言葉に感動した背景

麒麟がくる

麒麟がくる6回は三好襲撃の話です。
家来を主君がだまし討ちをするという展開です。
麒麟がくる6回の感想・・藤孝が光秀の言葉に感動した背景

鉄砲を手に入れた光秀

伊平次は光秀に鉄砲を渡します。
その際に伊平次は遊女小屋できいた三好襲撃の件を光秀に伝えます。
そして、伊平次を連れて三淵藤英邸に向かいます。

光秀と藤英・藤孝と将軍義輝

藤英と藤孝に三好襲撃の件を伝えますが、細川家の内輪もめだといわれます。
しかし、光秀は将軍のおひざ元の京で争いが起こるのは良くないと力説します。
それを偶然、隣の間に来ていた足利義輝が聞き、うなずきます。
光秀は結果、襲撃事件を防ぐことに成功しますが、左腕に傷を負います。

そして帰京していた望月東庵の下へ向かいます。

光秀一命をとりとめる

東庵の屋敷前で気絶して倒れた光秀を駒が見つけ介抱します。
2日間、駒が付きっきりで看病しました。
光秀は何とか一命をとりとめます。
この時代は傷ができれば命とりになることもめずらしくありません。
運が良かったと言えるでしょう。

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東庵宅に藤孝が訪ねてくる

東庵宅に藤孝が訪ねてきます。
藤孝は光秀が藤英の屋敷で放った言葉に感動した旨を伝えます。

京は畿内5か国がほぼ繋がっているような状況です。
商品経済も盛んであり、人の往来も5畿内に広がっていたでしょう。
人は利に聡く、目の前の利益に勤しんでいたでしょう。

自給自足を基本とする地方の国は様子が全然違います。
地方はまだ、理想は鎌倉武士だったでしょう。
御恩と奉公。
光秀は美濃国の古き土豪の長子として、その理想論を語ったのでしょう。
それが藤孝には非常に鮮明に映ったのでしょう。

 

そこに齋藤と織田の戦いの情報が舞い込んできます。

斎藤道三と織田信秀の大柿城の攻防

斎藤道三と織田信秀は大柿城を巡って争います。
大柿城は当時、牛屋城とよばれていました。

この前に、織田信秀は越前の朝倉と共に、土岐氏の一族を頭に美濃に攻め込んでいました。
斎藤道三は、守勢に回りながらも両勢力を撃退します。
しかし、肝心の西美濃地域を織田方にとられていました。
それを道三は取り返しに行きます。
信秀は急を聞いて駆けつけようとしますが、本拠地に敵が押し寄せた報を聞き引き返します。
大柿城は斎藤道三の手に落ちました。

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光秀美濃へ

光秀は美濃へ帰ろうとします。
しかし、傷も治っていません。
そこで駒が美濃までついていくことになります。
そこで駒がかつて遊芸人の一座にいたことを知りました。

麒麟がくる6回の感想・・京の人を感動させる地方の武士

さて、京はいつの時代も都の地位を不動のものにしています。
しかし、その都にはいつの時代も公家や僧侶など多くの特殊な地位の人間がいます。
そこで様々な情報が往来し、時に人を乗せ、そして蹴落とします。

そんな場所で弱小勢力となってしまっていた足利幕府。
そして、そこに現れた明智光秀。
地方豪族の明智光秀が語った理想論はそんな京の人を感動させました。

 

京の人藤孝を感動させた光秀の言葉の背景を紹介しました。

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