奈良市長仲川げん氏の12年を語る、今回は2回目です。
私が知り合って1年も経たないうちに、仲川げん氏は奈良市長選挙に出馬します。
その1年の間の記憶を書き記します。
奈良市長仲川げん氏の12年、仲川げんと馬淵澄夫を書きます。
勢いのあるおとこ馬淵澄夫氏
2007年10月から奈良町情報館をスタートし、2008年3月、私は大学を卒業しました。
それから本当に多くの人が訪ねてきてくださり、奈良新聞を始め各社に取り上げていただきました。
そんな中、たしか2008年2月だったと思います。
馬淵事務所スタッフの長谷川氏が訪ねてきました。
私はこの方がどんな方なのか未だに知りません。
しかし、当時、良くならまち界隈を歩かれていました。
政治とは歩いて人に会い、意見を聞くことが大事なのだなと。
今でも長谷川氏の事は記憶の中に残っています。
私の事務所から南へ10分程歩けば仲川げん氏の奈良NPOセンターがあります。
今思えば、長谷川氏はそこに通っていたのかなと思いました。
その長谷川氏がある時、馬淵澄夫氏と会ってほしいと。
私は信条としては歴史が好きな保守思考ですが、会うだけならと返答しました。
すると知り合いも読んでほしいと。
うちのスタッフと大家さん、話を聞きつけた魚佐旅館の金田さんに馬淵氏と私と。
当日は対談形式で私の政治に関する思いを聞かれます。
今思えば、選挙の人材探しだったんだなと。
その際に消費税を巡って意見が合いませんでした。
私から見ると消費税は商業者の心理的負担が大きく反対です。
そこで物別れのような感じになりました。
馬淵氏的には私は×だったでしょう。私的にも馬淵氏は×でした。
不思議な仲川氏
2008年は奈良NPOセンターの補助事業を後援団体の奈良21世紀フォーラムが行っていました。
その関係で、仲川げん氏とも少しだけ行き来がありました。
そして事務所に必要な机や椅子を分けてくれる会社を紹介してもらいました。
それがたしか2008年11月だったかと思います。
私は学生起業で資本もスキルもない出発でしたが、多くの人にお世話になり今があります。
そして、この時期、なぜか妙に仲川氏からよく連絡を貰っていました。
記憶に残る発泡スチロール
そんな中、2009年2月だったと思います。
仲川氏から発泡スチロールいらないか?と連絡がありました。
私は当時、週2回吉野で野菜を仕入れてならまちに運んでいました。
そこで発泡スチロールを使うので喜んで取りに行きました。
発泡スチロールは同じサイズの場合、蓋と箱を組めば小さくなります。
私がその作業をした時、「そんなことできるんやな」と言われました。
奈良市長選挙はその5か月後。
仲川氏は既に立候補を決意していたのでしょう。
私のような地域で人と関わる人の歓心を買っておきたかったのか。
立候補を聞いた際にそう思ったのを覚えています。
私から見ると、知り合って間もない人が立候補することに戸惑いました。
しかし、一方で、選挙とは機会と運が必要です。
仲川氏は民主党の風を計算して出馬したのでしょう。
私は応援する余裕などもとてもありませんでした。
また、2007年の衆院選では負けた鍵田さんを応援していました。
自分が目の前で手一杯の時に、選挙へと町が動いていったことを覚えています。
奈良市長仲川げん氏の12年を語る・仲川げん氏と馬淵澄夫氏について書きました。