真田丸8話調略の感想を書きました

感想 歴史 真田丸

今回は、真田信繁が叔父の信伊と共に、海津城城主春日信達を詭計に嵌める内容でした。

春日信達の父は、高坂昌信という武田信玄の家臣でも名高い武将でした。

武田信玄の家臣として高名な4名の家来がいて、俗に武田四天王と呼ばれています。

馬場信春・内藤昌豊・山県昌景・高坂昌信の4名です。

武田信玄は部下を非常にうまく成長させて大きな戦力を築き上げました。

彼の名言は「人は石垣・・・」として残っています。

この武田四天王のうち、最激戦地区を担当していたのがこの春日信達の父である高坂昌信でした。

今日の大河ドラマで彼の居城として出てきた海津城。

これが武田信玄と上杉謙信が領有をめぐって争った長野県北部の善光寺平です。

今日のドラマでも何度も出てきましたが、やはり栄光ある武田軍団が滅亡したことは多くの有能な人間には悲惨な地獄でした。武田がほろぶ原因だったのは、基本的には長篠の戦いです。武田四天王のうち高坂昌信を除く3名が討死しています・・

長篠の戦いで大敗北を喫した勝頼を信州駒場で出迎えたのが高坂昌信だったと言われています。

高坂昌信はその後、病死し、その3年後に武田家は滅亡します。その後も長野県北部に武田家の家臣が残ったのはこの高坂昌信の功績が大きいでしょう。春日信達も真田昌幸も栄光ある武田軍団から見ると、一世代下の世代になります。

親の世代の栄光と、自分達の世代での武田家の滅亡は本人たちには人生最大の苦労だったと思います。その後、上杉や北条・徳川に侵略されると言うのは耐えきれなかったでしょう。

それを考えた上で、器量人として残った真田昌幸はやはり只者ではないですね。武田家は平安中期の八幡太郎源義家の弟、新羅三郎義光から続く名門です。名門とは時代が下るにつれて、家の持つ伝統と、時代の変遷に齟齬がきたすようになり、衰退していくのですが、武田信玄はそれを見事に大きな形にしました。

一方、真田家は実は昌幸の父、幸隆の頃に1度、滅ぼされて一家離散しています。その後、幸隆は見事立て直しました。そして、昌幸は実は3男で兄2名が長篠の戦いでなくなり、家督を継ぎます。しかし、この真田昌幸に強烈なエネルギーがあるところが、新興勢力の余韻があるところだなぁと思います。

いつも大河ドラマを見て思うのは、徳川家康の扱いが悪すぎる。私は結局はこの時代では一番総合的に優れていた人であると思っています。時代の柱となった人を滑稽に描くことは真田信繁が主人公である以上、しょうがなかったかもしれないのですが、歴史が軽くなっている所が少し不満です・・

以上、感想でした。

2016-01-28 11.10.39

真田丸の真田昌幸の部屋には白山大権現の掛軸がありますね。ならまちにも白山大権現が祀られています。

 

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