大河ドラマ「真田丸」では上杉景勝の存在がどうしても気になる人も多かったのではないでしょうか。
上杉景勝の逸話や名言・苦労話などを紹介します。
上杉景勝の逸話・・・実父は殺された?!
上杉景勝は上杉謙信の姉の息子になります。
実父は長尾政景と言います。
長尾政景は謙信の功業を助けましたが、勢力が大きすぎたことが原因で謀殺されたとの説もあります。
上杉家の家臣と武田家の家臣
武田信玄と上杉謙信は共に比べて語られることが多い人物です。
武田家に比べると上杉家は家臣の層が薄い印象があります。
それはたびたびの謀反があったり、謀反を起こしても謙信が許すということも原因であると思います。
どちらにしても武田信玄と上杉謙信はその性格による色合いが家中に出ているといえます。
上杉景勝の逸話・・・若い頃から苦労の連続だった
22歳で養父の謙信が亡くなったことで人生最大の危機を迎えます。
謙信には実質2名の養子がいました。
しかしどちらが跡を継ぐのか決めることなく脳溢血で倒れ世を去ります。
後の流れから考えると、上杉家の親族の景勝が継いで当然のような気もします。
もう一人、景虎という養子がいました。
景虎は北条氏康の8男です。
景虎には小田原北条家の後ろ盾もあり、周囲は二人の争いに参加して大騒動になりました。
上杉家はこの騒動の際に織田家の侵略を受けて、規模が最盛期の3分の1程度になります。
謙信存命中は、新潟県・富山県・石川県・群馬県の半分・長野県北部の一部を治めていました。
それがこの騒動の際にほぼ新潟県のみになってしまいます。
西から織田家の北陸方面指令官の柴田勝家・南からは織田家の森長可が攻め寄せます。
人生最大の危機を迎えます。
この状況は、本能寺の変が起き織田家が総崩れを起こす事で危機を脱出できます。
あと半年信長が生きていれば、上杉家は残っていなかったのではないでしょうか。
上杉景勝の危機を見ると、養父謙信の死が人生の大きな苦労と直結しています。
組織は後継者を決めておかないと、取り返しのつかないことになるという証明だと思います。
上杉景勝の逸話・・・直江兼続の存在が上杉景勝を救った
相続レースの結果、組織が若返るのですが、そこには天才的な補佐役直江兼続の存在がありました。
上杉景勝は決して凡庸ではなかったと思いますが、彼は極端な無口を生涯通します。
上杉景勝の逸話・・・極端な無口が養父謙信の威風・遺徳を守った
養父謙信の遺徳を守ったと言われています。
また、極端な無口だったと言われています。これは直江兼続の進言だったと言われています。
謙信程の器量がないが、無口であれば威厳が出て、自然と謙信然とした雰囲気が作れるということでしょうか。
その後、景勝は関ヶ原の戦いにおいて、徳川家康と敵対しますが、目論見は失敗しました。
家康の方はもっと若いうちに多くの苦労をした上で、順調な成長を遂げたのでしょう。
運もよかったのでしょう。
いつの時代も弱肉強食はあります。後継者の問題。
それはしっかりと継ぐ側だけでなく継がせる側も心してかからなければならないのでしょう。
上杉景勝の名言
さて、ではそんな無口の上杉景勝に名言は残っているのでしょうか。
色々と調べましたが、小説にすらあまり言葉が残っていません・・・。
本来、無口だったのか、いつの頃か無口になったのかわかりません。
しかし、口を閉じたくなるような苦労が彼には多かったのでしょう。
上杉景勝の名言とは、話さないということかもしれないですね。
上杉景勝の逸話や名言・苦労した話を紹介しました。