地域活性局

藤丸正明

徳川家康の大坂冬の陣和睦交渉が偽りだった証拠があった


大河ドラマ真田丸で大活躍の内場聖陽扮する徳川家康。

内場聖陽の徳川家康はこれまでの大河ドラマで最高の家康だと思います。

とにかく胡散臭い・・・。

堺雅人扮する真田幸村と内場聖陽扮する徳川家康。

まさに真田丸を彩る好対照な生きざまです。

徳川家康は江戸時代、神君として日光東照宮にお祀りされていました。

徳川家康の評価はさまざまで名言を大事にする人もいればタヌキおやじと評する人もいます。

しかし、戦国時代を最後にまとめてしまった人物です。

タヌキおやじだったり家訓好きだったりする徳川家康を時代が欲したのでしょう。

そんな徳川家康が大坂冬の陣の和睦交渉の際のある逸話が残っています。

徳川家康は豊臣方と和睦交渉を行いますが、これは完全なる偽りでした。

一度、堀を埋めて、その後再戦し、豊臣方を滅ぼす。

そこが徳川家康の狙いでした。

ここにある逸話が残っています。

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徳川と豊臣が大坂冬の陣で和睦交渉を開始したのは1614年12月18日です。

和睦交渉が成立するのは20日です。

ちょうどその前後の逸話です。

逸話の主は安藤帯刀直次という家康の家来の一人です。

彼の家系は徳川がまだ三河松平郷の領主だった大昔からの家来です。

さらに代々、多くの当主が戦死している熱血徳川家来です。

安藤帯刀は家康の心を許した人物の一人だと考えていいでしょう。

 

その日、安藤帯刀は風邪気味でした。

帯刀は家康のいる部屋の隣の部屋で屏風を立てて昼寝をしていました。

すると、そこに徳川家康が3人の家来を連れて入ってきました。

3人とは、本多正信・本多正純・板倉勝重の3名です。

帯刀はとっさに寝たふりを敢行します。

その時の密談の内容。

それは2月には再び攻め寄せるから準備しておくようにという家康の話でした。

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安藤帯刀は当時、静岡県大部分を納めていた徳川頼宣の家老でした。

大坂夏の陣は4月に家康と秀忠が京都で諸大名の参集を待ちました。

その際に、安藤帯刀は12000の兵を迅速に武具等の準備も怠らず整えました。

家康は非常に驚き、その理由を問うたそうです。

すると、安藤帯刀は寝ていたことを正直に伝えます。

そして、密談の際には周囲には十分に注意してくださいと忠告したそうです。

安藤帯刀直次が晩年に語った逸話です。

この一見、何でもない話。

その中に、家康が大坂冬の陣の和睦交渉の際に再戦する意思があった事実がありました。

徳川家康の大坂冬の陣の和睦交渉が偽りだった証拠を紹介しました。

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