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日本人の人との距離感・米国や中国と比べて見える横顔

歴史

日本人は本音を言わない。
日本人は国際社会では役に立たない。
そんな話をたまに聞きます。

比叡山からみた淡海(琵琶湖)

前にドイツがえりの若者が‘意見を言うドイツ人’の素晴らしさを熱く語っていました。
そして日本人は意見を言わないからどうしたいのかわからないと批判していました。

私はこれには異論があるために、私の思う日本人の持つ人との距離感について書こうと思います。

外国人の距離感・・・アメリカ人の場合

海外旅行で、各地を回っているとよくアメリカ人に声をかけられます。
アメリカ人は基本的にフレンドリーだなぁと思います。

アメリカの人口密度は33人/k㎡。
1km×1kmの間に33人しかいない国です。
見渡す限りに人が辛うじて2~3人いる感じでしょうか。

ヘイ!と声をかけてくるアメリカ人の雰囲気が見えてくるようです。

外国人との距離感・・・中国の場合

中国人は大声で話す印象が強いですね。
また、中国人は非常にリラックスしているように見えます。
日本人のような緊張感はあまり見えません。

中国の人口密度は145人/k㎡。
1㎞×1kmの範囲に145人。
見渡す限りに10人ぐらいいる感じでしょうか。

外国人との距離感・・・日本の場合

日本の人口密度は340人/㎢。
日本の国土の3分の2は山といわれています。
平地は3分の1ですね。

そこで人口密度を3倍にすると平地の人口密度を考えることができるでしょう。

1020人/㎢です。
10m×10mに10人いるんですね。
日本は国土の狭い国です。

私は講演の際に、この3つの国を簡単に比較して紹介します。
目の見える範囲の人間関係で日本人は精一杯なんだと思います。
外国と比べて周囲に気を遣うのは当たり前だなと思いました。

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日本人と農耕文化

そんな日本ですが、日本人は弥生時代、稲作を取り入れます。
稲作は限られた面積で最も人を養える農業だと言われています。
当初山の中での稲作文化が盛んだったといわれています。
山の中は土地が狭い一方で、灌漑設備の必要があまりないんですね。

山の場合、水は上から下に流れます。
そして落ち葉等の畑に必要な栄養も山には大量にありました。

 

やがて平野部に進出します。
人口が増えていったのでしょう。
平野部には山間部からぞろぞろと降りれ来る人であふれたでしょう。

ここから日本人は争いを始めるようになったといわれています。
(発掘された縄文時代の人骨には抗争の傷跡がまだ1つもないそうです)

平野部では灌漑設備を作る必要があります。
これは日本人初めての土木事業だったのではないでしょうか。
そして、平野部には田畑の栄養となる落ち葉等がありません。
山沿いの集落は山を大事にし、平野部の集落は平野部内の山を大事にしました。
山沿いの集落が大事にした山は大神神社のような信仰の対象となります。

平野部内の集落が大事にした山は大和三山のように信仰の対象となります。
その信仰の対象を支配した人が大君と呼ばれる支配層となっていきます。

日本人の距離感・・・集落で農業をするということ

雲仙普賢岳と稲作

日本の稲作文化は集落単位で行います。
これは今も変わらないでしょう。

共同で水利を管理し、全員で田植えの時期を決めます。
一軒でもその日を間違ったりすると集落全員に迷惑がかかるんですね。

昔は地域に長がいて、その長の言う通りにやっていたでしょう。
その共同運営についていけない人・ストレスを感じる人は実は一定数いたでしょう。

日本の長い歴史の中で多くの人がこの感覚で時代を過ごしてきたのでしょう。

 

日本人らしい現象について

人と同じことをしなければならない。
一人だけ勝ち上がってはいけない。
日本は住みにくい。干渉したがる。

そんな日本人のストレスと上記の歴史で培ってきた国民性は一致するように思います。
そしてその割に集合住宅に住まなければならない事情があります。

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日本人の距離感・・・世界と触れ合って見えたもの

室生のお寺に遺る太平洋戦争の戦利品

そんな日本は太平洋戦争でアジアの多くの国と戦いました。
戦地に赴いた日本人・内地の日本人にとってもなじみのない戦地だったでしょう。

空白地図を渡されて場所を指令されます。
ビルマとはなんだ・ガダルカナルとはどんな島か。

かつてない急拡大した戦線に日本人は戸惑いながら戦ってでしょう。
日本人の多くは戸惑いながらも、時代の流れに乗り遅れないようにと戦時体制に入っていったでしょう。

結果を見ると、未経験の戦線の重要地を各個撃破されて敗戦となりました。

 

日本人の距離感が世界で必要とされる日

敗戦を迎えた日本人は何を学び何を感じたのでしょうか。
戦後の経済成長では日本はアメリカについで2位の経済大国まで成長します。

そして今、アベノミクスで世界中から外国人が押し寄せてきています。
日本の各地を訪れる外国人。
ここにまた‘日本人’の国際交流が広がっているのではないかと思います。
世界の歴史の大勢の中で、日本は決して大きくはない存在だったでしょう。
しかし、これからは違います。

限られた面積しかない地球に爆発的に人口が増加しています。

世界中はその人と人との距離感に悩むでしょう。
きっと、日本が培ってきた人との距離感が世界の人を救うのではないでしょうか。
日本人の協調外交の姿勢はいずれは評価されると私は思っています。

 

少子高齢化・地方の衰退。
多くの課題が日本にのしかかっています。

しかし、それは今に始まったことではなく長い歴史の中継地点に過ぎません。
その課題を克服するために日本人は何をするべきなのか。

 

私は観光という業界で何をするのか。
それを考えています。

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