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奈良市長仲川げん氏の12年を語る・第二回珠光茶会

奈良

奈良市長仲川げん氏の12年を語る。

第19回目となりました。
引き続き珠光茶会について書いていきます。

奈良市長仲川げん氏の12年を語る・第二回目の珠光茶会を紹介します。

 

大成功に終わった第一回目の珠光茶会

お茶券は1か月もない間に完売し、多くの人出でにぎわった珠光茶会。
仲川げん奈良市長の4年目にして初めての成功の果実だったのではないでしょうか。
大雪の講演会の日には東部の山間地区の職員の方が雪かきを主導。
全国から訪れた参加者は奈良の行政職員の献身的な動きに感動しました。
市長は参加者から写真をお願いされて満面の笑み。
私も企画が成功したことでの達成感のあった第一回目でした。

 

大成功の陰で

大成功の陰で、課題も浮かび上がってきます。
茶道関係者はお茶会において時に文化財級・国宝級のお道具を目にしています。
奈良で村田珠光を顕彰するお茶会が開催される。
そういうニュースが50を超えるメディアを通じて全国に発信されました。
当然、幻の村田珠光縁のお道具が出てくると考えた方も多かったようです。
何が珠光茶会なのか?何をもって珠光茶会なのか?という問い合わせもいただきました。

 

珠光茶会特別席

前回の記事にも書きましたが、有馬師がお持ちの村田珠光縁のお道具で特別席を担当してくださることになりました。
この3年前、有馬師が金閣寺でお茶会では会費3万円のお茶会が300人定員の750名殺到する人気ぶりでした。

せっかく特別に茶席を担当していただくということでこれもまた企画化しました。
特別席は有馬師の担当後、第三回からは各流儀の家元にお願いする。
また、第三回からはそこに記念品を作るべく、奈良市の工芸関係の予算を使用する。
席の担当の流儀の家元は奈良の工芸作家を指導して記念品を作る。

このようなことを有馬師と市長と私の3人で決めました。
しかし、これは次年度の茶会で簡単にひっくり返されます。

 

市長が突然言い出した7日間開催

たしか2014年6月の会議だったと思います。
第一回は5日間の開催でしたが、市長が7日間やると言い始めました。
期間が長くなるのは良いが、その分、1日2席増やさなければなりません。
第二回は石州流の参加がありましたが、それでも3席足りません。
事前に対して打ち合わせもないまま市長が言い出します。

切り返した裏千家のT幹事長

世の中、上には上がいます。
裏千家淡交会奈良県支部幹事長のT氏。
1300人の支部会員をまとめる幹事長です。
「わかりました。うちであと2席持ちます」

一瞬空気が止まりました。
そして他の流儀も調整をすることにしてくれました。
その結果、市長の無理難題が通りました。
市長は上機嫌で、部下のおだてに乗っていました。
しかし、この思い通りに行くという慢心が後に非常にきついしっぺ返しになります。

 

見逃すことができない発言

第一回目の珠光茶会は各社寺への謝礼が茶席1回につき10万円で、拝観料も含まれます。
1日300席です。1人当たりの拝観料は300円程度になります。
寺院も電気代から人件費などもかけて拝観できる体制を整えています。
実際にある寺院からその価格をせめて拝観料と同規模にしてほしいと依頼がありました。

私は市長に謝礼を20万円に増額しようと伝えましたが、煮え切りません。
「寺だって誰もこん時に、やるんやからそれでええねん」と。
この時、勇気を出してこれを呑めないなら私は辞めますきつく言いました。
それでなんとか謝礼は20万円と決まりました。
お寺の方も参加する会議の3分前の出来事でした。

 

課題とその解決に向かって

村田珠光は有馬師が特別席で担当される。
特別席は120名・会費2万円。
珠光茶会期間は2015年2月9日~15日(5日→7日)

 

特別席歓迎の懇親会

また、開催の1か月前ぐらいに私は思い付いて市長に提案します。
特別席の方々を招待して、懇親会をして輪を広げていこうと。
当日は有馬師の相国寺グループ・奈良の参加社寺の管長方、各流儀の責任者の方など多くの関係者が集まりました。
場所は現ホテル尾花(旧サンルート奈良)の日本料理おばな。
会はとても盛り上がりました。

 

第二回目珠光茶会

前回と同様、奈良市記者クラブで記者発表を行います。
お茶券はすぐに完売しました。

また、特別席は春日大社で開催されました。
国宝級のお茶道具に参加者は目を奪われていました。

仲川市長は有頂天だったでしょう。
この頃、市長は、文化事業で名を成したいと思うようになっていたようです。
それはこの後次から次へと出てくる文化事業予算案の紛争へと繋がっていきます。

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珠光茶会が成功した理由

珠光茶会が成功した理由は簡単です。
多くの歴史的大社寺で、各流儀のお茶を楽しめます。

一方で議会対策にも十分耐えうる内容でした。
多くの大社寺が参加し、茶道関係者が支部単位で参加している。
ここに反対を言うことができる議員は一人もいませんでした。

私は、この事業を通じて、市長が新たな目を持ってくれれば良いと思っていました。
しかし、その思いとは裏腹に市長も含めた市役所の暴走が始まります。

奈良市長仲川げん氏の12年を語る・第二回目の珠光茶会について書きました。
次回20回目は発案者を追い込んだ市長と職員の暴走を書きます。

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