地域活性局

藤丸正明

真田信繁の名前の由来


真田信繁。現在、大河ドラマで絶賛放映中です。

2012-06-04 15.22.42

ドラマの中では「源二郎」といわれています。

一方で、有名な名前では幸村という名前もあります。

しかし彼は生前に自ら幸村と署名した文章等はないそうです。

なので信繁が正式のようです。

真田家の本家、つまり兄の信幸の家では、大坂の陣以後、彼の名前を幸村と使っている時があります。

おそらく、真田信繁の名前は徳川家に対して弓を引いた人間として名前を憚ったのではないかと思います。

幸村の幸は真田家の諱であり、信繁の祖父幸隆や息子にも幸昌と名前を付けています。

ちなみに、信繁の息子幸昌は通称大助でした。

さて、信繁という名前についてです。

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彼が生まれた際に付けられた信繁という名前は実は非常に重要な意味を持ちます。

真田昌幸は信繁が生まれた当時、武田家に仕えていました。

武田信玄には4歳下に次郎という弟がいました。

彼は父の信虎と関係が良好とはいえない幼少期を過ごしていました。

それに対して、弟の次郎は利発で信虎が寵愛していたといわれています。

信玄は父、信虎を追放します。これは家督相続に絡んでの追放劇だったようです。

普通は父が溺愛した人物がいた場合、父の追放と共に殺されるか追放されます。

しかし、その後も次郎は信玄の下で副将軍として活躍します。

この点だけを見ても武田信繁という人物が非常に器量人だったことがわかります。

彼は1561年、上杉謙信との戦い川中島の戦いで戦死します。

彼は非常に名前のとどろいた人物だったようで、信玄だけでなく、謙信からも死を悼まれます。

さて、その次郎という人物の本名が信繁でした。

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真田昌幸は信繁という名前を付けるにあたり、自分の尊敬する主君、武田信玄の補佐役だった信繁から名前を取りました。

それにはきっと、兄を支える弟としての役割を期待したのでしょう。

戦国時代を見渡しても、兄を支え切った武将というのはあまり思い浮かべません。

私がすぐに思い浮かべるのは豊臣秀長です。

逆に兄を凌ごうとして殺される人物としては伊達政宗の弟、小次郎や織田信長の弟信行(信勝)が著名です。

実際には昌幸は長男の信幸よりも次男の信繁を可愛がっていた形跡があります。

その姿は信虎と一緒ですね。。

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真田信繁の名前の由来は武田信玄の弟として勇名を馳せた武田信繁から取られていました。

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