地域活性局

藤丸正明

宇喜多直家と宇喜多秀家 その1

真田丸に登場する人物、宇喜多秀家について紹介します。
秀家という人はその父直家の力のお蔭で大きくなった関係があります。
なので、まずは直家を紹介したいと思います。

2014-08-27 12.44.26

宇喜多秀家は戦国時代末期・今の岡山市に生まれます。
父は戦国の梟雄と言われた宇喜多直家。

直家は祖父が味方の裏切りに遭い領地を失います。
なので、彼の半生は100人も養えない身分から始まります。
彼は超絶美男子であったそうです。
人を騙し、賺し、そして欺き、出世しました。
直家は一度しかまともな戦争をしていないと言われています。

そして、岡山県の大部分を自分の所領としました。
今の岡山県の原型は彼に起因するでしょう。

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直家の晩年は大勢力に挟まれながらも大健闘します。
東に織田、西に毛利という事情。
当初は毛利についていました。
しかし、織田方の方が優勢と見るや否やあっさりと寝返ります。
当時の織田の対毛利司令官は羽柴秀吉です。
直家は秀吉に取り入ります。

この直家の毛利から織田への鞍替えは中国地方の勢力図を変えました。
岡山と兵庫の県境で戦っていた毛利は広島・岡山県境での戦いになります。
秀吉としても宇喜多の軍勢約1万は非常に重要でした。
秀吉の動員力は当時2万人には届いていませんでした。
そこに1万人の宇喜多勢が合流します。
改めて秀吉の人生を見るとここがターニングポイントだったでしょう。
この時点で、秀吉は織田家で最も動員力を持つ武将になりました。
さらに、秀吉から見ると直家の才覚もとても魅力的だったでしょう。

秀吉は良い軍師にめぐり合います。
竹中半兵衛重治や黒田官兵衛孝高が著名ですね。
しかし、謀略の才能は直家の方が上手だったでしょう。

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しかし、直家はその後すぐに重病に陥ります。
直家は死ぬ前に秀吉に息子の八郎を託そうと思います。
そして重病で起き上がれないため、秀吉を自分の城に呼びます。

ここで、秀吉の思案が入ります。
松永久秀や斎藤道三とも方を並べる謀将宇喜多直家。
彼が自分を城に招いている。
ほとんどの取り巻きが秀吉を止めたと言われています。
しかし、秀吉は天性の勘もあり乗り込みます。

そして直家を感激させます。

直家は秀吉に自分に息子の烏帽子親を頼みます。
烏帽子親とは元服の時の世話役です。

そして息子は秀吉の後見の元で元服します。

そして八郎から秀家に改めました。

こうやって秀吉を後見につけた秀家は大出世を始めます。

その2 に続きます。

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