福島正則の逸話・・関ケ原・大坂陣の逸話・子孫やお墓の逸話

歴史 真田丸
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真田丸でも登場した福島正則。

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実際に、福島正則は大坂の陣後も一種の地位を持ち続けます。

福島正則の逸話・・・関ケ原・大阪陣の逸話・子孫やお墓の逸話を紹介します。

 

福島正則の母は加藤清正の母と従姉妹だった

福島正則の母は豊臣秀吉の母と姉妹でした。

豊臣秀吉の母は加藤清正の母と従姉妹なので、福島正則の母とも従姉妹にあたります。

福島正則は播州三木城の戦いで初陣を飾り、賤ヶ岳の戦いで活躍します。

25歳で今治11万石。その後、愛知県清洲25万石を拝領します。

福島正則は戦争での活躍よりも秀吉の親類として地位を得ていきます。

そして、秀吉の死。

彼は秀吉亡き後の思考を北政所に委ねます。

北政所は、徳川家康を頼りにします。

福島正則の逸話・・・関ケ原の戦いの逸話

徳川家康は北政所に接近し、そんp影響下にある武将を味方につけます。

加藤清正、加藤喜明、黒田長政などが家康に靡きます。

そして石田三成ら文官と争いが始まります。

家康は北政所や福島・加藤等の親族を味方につける、豊臣家に信頼されていると思わせます。

福島正則は関ケ原の戦いで奮戦して、勝利を納めます。

関ヶ原の戦いの名場面は福島正則と宇喜多秀家の激闘でした。

家康に天下を取れせたのは自分であると正則は公言していました。

しかし、家康は豊臣政権から天下を奪うことができました。

その家康が最後に取り掛かろうとしたことが豊臣家の滅亡でした。

福島正則の逸話・・・大坂の陣の逸話

徳川の天下が確立された頃、福島正則の盟友の加藤清正が亡くなります。

福島正則は家康が豊臣家を滅ぼすを止めることができませんでした。

しかし、福島正則は大坂の陣において、兵糧を大坂方に進呈します。

また、福島正則はその親族から2名を牢人させ、大坂の陣で大坂方に派遣しました。

しかし、福島正則は盟友の加藤清正などを失って、大坂の陣では全く活躍できずに豊臣家は滅びます。

 

福島正則と徳川家康の逸話・・・臨終の席で言われた言葉

家康の臨終の席で正則はこんなことを言われます。

「一度国に帰って戦争の支度でもすればどうか」。

正則は何も言い返せなかったそうです。

戦場では勇猛な正則も家康には手も足も出ませんでした。

 

福島正則の家臣の逸話・・・日本号の逸話

酒乱だった福島正則。

黒田長政の家来が主人の用事で正則に会いに来ます。

飲酒中だった正則は自分よりもお酒を飲めれば秀吉拝領の日本号という槍を差し上げると言いました。

不覚にも相手は大酒豪で、その槍を渡してしまいます。

これが黒田節の酒はのめのめで始まる歌のモデルの話になります。

 

福島正則の逸話・・・福島正則のお墓の逸話

福島正則は徳川秀忠の治世に石垣を無断修復した件で大減俸を受けます。

そして信州で晩年を迎えます。

福島正則はその地で亡くなり、お墓がそこに経ちました。

いつからか、福島正則のお墓には愛染明王が置かれました。

福島正則のお墓はいつしか愛染明王堂となったといわれています。

 

福島正則の子孫の逸話・・・福島正則の子孫は旗本で残った

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福島正則の子孫は一度、後継者がおらずに断絶します。

しかし、また江戸幕府は福島正則の子孫を引き立てて旗本にしました。

旗本になることで福島正則の血は子孫に遺ったと言えるでしょう。

 

 

福島正則の逸話・・・関ケ原や大坂の陣の逸話・子孫やお墓の逸話を紹介しました。

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