地域活性局

藤丸正明

真田丸最終回の感想家康に何度も勝ちながらも勝者になれない理由


大坂夏の陣も最終話に入ります。

真田丸最終回の感想を書きます。

 

大角与左衛門が登場します。

娘と嫁は戦に巻き込まれて亡くなってからずっと大坂城の落城まで待っていたと。

真田丸最終回はこれまでの引っかかっていたものがなくなっていきます。

 

最終軍議。

天王寺に真田と毛利が陣取り、伏兵として明石の騎馬隊が船場に隠れます。

幸村は茶々に拝謁して最後の覚悟を伝えます。

茶々はやはりトラウマを克服できずに取り乱しました。

真田丸の茶々について

 

 

 

諦めない幸村

後藤又兵衛や木村重成の戦死で豊臣方はもはや最後の決戦に託すしかありません。

しかし、幸村はあきらめませんでした。

ここが真田幸村の評価される一番の点ですね。

1%でも可能性があるものはあきらめてはいけない。

真田幸村はその1%で華を咲かせました。

 

決戦に負けた場合の最後の手段

幸村は茶々に決戦に負けた場合には秀頼の正室の千姫を和睦の使者に出すように言います。

実際は大野治長が考えた手だといわれています。

家康の汚い手

豊臣方はほぼ全員が討ち死にする覚悟になっています。

そんな豊臣方の士気の高さを家康はガス抜きにかかります。

大坂城に和議の使者を送り、時間を稼ぎます。

相手がまだ生き残れるのかという期待を持った頃合いを見ました。

秀頼は天王寺へ出陣しようとしますが、和議の書状を受け取った大蔵卿局に止められます。

家康は結局はいつもこうやって汚い手を使います。

 

天王寺の戦いがはじまる

やがて家康は総攻めを命令します。

松平忠直と本多忠政は毛利勝永に攻めかかります。

しかし、毛利勝永は用兵の術を心得ている武将でした。

あっという間に松平も本多も勝永軍に粉砕されます。

毛利勝永軍の攻撃を見て真田幸村も突撃を敢行します。

真田の突撃に家康は驚愕しました。

戦乱最後の戦いです。

徳川方と豊臣方の士気の違いは事情にあった

徳川方は戦が終われば豊かな生活があり、豊臣方は後がありません。

これでは覚悟の問題で1対1では戦いにはなりません。

豊臣方の捨て身の突撃に徳川方はびっくりしたように総崩れを起こしました。

 

 

大野治長のミス

しかし、大野治長が秀頼の所在を知らせる馬印を持って城に戻ります。

それを見た豊臣方は勢いが止まります。

秀頼が大坂城に退却したように見えたのですね。

大野治長は真田丸では最終回までミスを犯す姿でした。

そしてお城から火の手が上がります。

大角与左衛門が台所に火を放ちました。

真田丸の大坂の陣で豊臣方の料理人の大角与左衛門は裏切者だった

 

秀頼は最後の戦いに出陣しようとしますが、茶々に止められます。

きりは千姫を連れて大坂城を脱出します。

 

真田丸最終回の短編エピソード

このあたりから真田丸は最終回の短編エピソードに入りました。

討ち死にした高梨内記の手の中には昌幸のお位牌がありました。

堀田作兵衛も戦死します。最後に「すえ」の名前をいいました。

きりは脱出途中に幸村の姿を発見します。

きりが幸村を見た最後ですね。

幸村の突撃

幸村は家康の本陣に突入します。

家康に父、昌幸やその他の家康に滅ぼされた人のかたきを討つと伝えました。

伊達政宗と上杉景勝が同じ場所で幸村の姿を見ていました。

二人は本来は仇敵の間柄なので、こんなことはあり得ません。

しかし、三谷さんは簡潔に場面を作ったのだろうと思いました。

大坂の陣は終わりました。

京にいる寧々を片桐且元が訪ねます。

そして終わったことを伝えました。

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幸村の最後

最後に幸村の最終の場面。

場所は今の安居天満宮ですね。当時はお堂があったようです。

幸村は切腹します。

幸村は最後に六文銭を手に取りました。

大河ドラマ真田丸 六文銭と赤備えの話

 

豊臣方の最後

秀頼と茶々は燃えた天守閣を見ながら山里郭で最後の時を待ちます。

この場には真田大助の姿がありました。

毛利勝永は大坂城を脱出します。

しかし、実際は勝永は秀頼と共に自害したといわれています。

秀頼や茶々は最後は山里郭の土蔵の中で自害します。

 

真田信之は京から本多正信と江戸まで旅をします。

そして相模玉縄の本多正信の所領の農民の姿を見ます。

本多正信は農民は生かさず、殺さずに税を取ると言いました。

本多正信の逸話 関ケ原と大坂の陣の話

 

信之に届いた六文銭

その信之に大阪から使者が来ました。

その使者が持ってきたものは、真田の六文銭でした。

真田丸は今回が最終回でした。

真田昌幸と幸村は戦争においては何度も家康に大勝しました。

しかし、最後に天下を取ったのはやはりその家康でした。

ここにはどんな背景があるのか。

私の思うことを思うままに書いてみます。

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家康に何度も価値ながらも勝者になれなかった理由

真田は信州の豪族として軍神といわれた武田信玄に仕えます。

信玄の戦い方は巧みな用兵戦術にあります。

散々、石を投げつけて相手が顔を上げることができない姿を作ったうえで俊足の騎馬隊を投入します。

その巧緻な戦いは信玄の時代は可能でした。

何故なら、動かす軍勢がせいぜい1万人単位だったからです。

一方、家康は青年期にその1万人の単位を学びます。

しかし、家康はその後に信長や秀吉から5・10万の兵隊を動かす世界を学びます。

信長や秀吉は戦術よりも戦略を重視しています。

できるだけ相手の戦力を削ぐように外交等を進め、洪水のような大軍で攻撃します。

そこには戦術はあまり存在しませんでした。

信玄が騎馬隊や鉄砲隊を一つの部隊として考えることに対して、信長は全部隊を鉄砲隊にしてしまいます。

信長の長篠の戦はその良い例ですね。

信長・秀吉・家康はこのように戦略的な戦い方をして全体を勝利に導きます。

一方の信玄時代の用兵戦術を学んだ真田昌幸や幸村はその磨きのかかった戦術で戦います。

その緻密な戦い方は徳川軍の個々の部隊を撃破します。

そこに真田と徳川の差があったのではないでしょうか。

真田丸最終回は戦略で勝つ家康と戦術で勝つ真田の違いの結果だったと思います。

以上、真田丸最終回の感想でした。

これまで真田丸の感想を読み続けてくださいましたみなさま、ありがとうございました。

特に、「読んでいます」と声をかけてくださった方には大変励まされました。

次回の井伊直虎を書くか、まだ迷っています・・・。

真田丸、全50回分の感想でした。

最初の方は感想を書いていませんでしたので、総集編ではまた感想を書こうと思います。

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