白山信仰を支えた信仰拠点三馬場と廃仏毀釈と

まちづくり

日本人は古来から自然に恩恵を感じ畏敬の念をもって接してきました。

飛鳥時代に入ると、中国から仏教が入って来ます。

それを日本人は神様が仏様の形として現れたと考えます。

本地垂迹説ですね。

今回は北陸の一大拠点白山信仰を支えた信仰拠点三馬場と廃仏毀釈について考えました。

 

 

白山の恵みが地域に恩恵を与える

北陸随一の山・白山。

白山は加賀(石川県南部)・越前(福井県東部)・美濃(岐阜県南部)に跨ります。

白山がもたらす恵は川となって田畑を潤しました。

古代、地域の稲作の発展に大いに寄与しました。

地域では白山を崇拝します。

 

白山信仰は天台宗との結びつきで発展する

天台宗の僧泰澄は白山を開山します。

その後、日本の神道と仏教は習合へと進んでいきます。

神仏習合です。

820年には三馬場が建立されます。

三馬場は白山登頂(禅定道)の拠点として設置されます。

白山もここにいたり、神仏習合の形ができあがります。

その後、仏教は空前の力を持ち、時代の中で存在感を増します。

仏教の著名な話では、後白河院の話があります。

鴨川の水と僧兵は手に負えない・・。

その僧兵とは比叡山を経由して京都に強訴にきた白山平泉寺の僧兵でした。

 

南北朝時代に南朝と吉野の衰勢の中で勢力を広げた白山

白山は熊野修験に次ぐ地位にあったといわれています。

南北朝時代、父が南朝であれば息子は北朝という時代です。

吉野が南朝であれば、白山は北朝というような按分だったのでしょうか。

吉野が南朝と共に衰勢となると、白山の勢いが増します。

白山平泉寺は僧兵8000名を擁したといわれています。

この当時、白山は9万石の寺領があったようです。

9万石といえば、武士団でいえば、2250名の武士を養えます。

すごく力を養ったのでしょう。

また時代は室町時代。

社会が常に不安定で、将軍や大名達の争いが続きます。

そこに様々な信仰が力を大きくしました。

 

浄土真宗一向一揆と平泉寺

そんな平泉寺等の白山勢力は基本、天台宗です。

天台宗は国家鎮護の仏教です。

その収入源は将軍・大名等からの寄進された領地から上がります。

つまり税金で賄われます。

一方のこの時代に急激に勢いを増した浄土真宗。

浄土真宗は領民が税金を納めた残りから支払う寄付で賄われます。

爆発的に農業生産力が上がった時代。

外国から伝わった製鉄技術の発展が寄与しているそうです。

それまでよりも農業生産力があがった余剰があります。

その余剰を寄付として集めることで本願寺は大教団化しました。

北陸加賀国では、その余剰金で一揆が起こり、国も掌握します。

その結果、加賀国は税金も寄付も本願寺教団に集まるようになります。

加賀国はもともと沼の多い地域で他の国と比べると開発が遅れていました。

その加賀国は一向一揆により生産が巨大化していきます。

私の先祖はその一向一揆の武将で、新田開発を行っていたようです。

その結果、加賀国の生産高は約15万石から40万石程度まで上がります。

40万石の生産高は大雑把に見積もれば人口も約40万人前後です。

それが一致団結するように越前の北の国に盤踞します。

すぐ南の営繕の平泉寺は穏やかではなかったでしょう。

平泉寺は越前守護大名朝倉氏(70万石)の庇護を受けていました。

朝倉氏が保護した平泉寺の領土は9万石といわれています。

朝倉氏は加賀国一向一揆に悩まされます。

やがて、朝倉氏は織田信長に攻め滅ぼされます。

織田信長はその後、越前を前波吉継という朝倉旧臣に任せて失敗します。

前波の失政は越前国を政情不安にしました。

そこに加賀国一向一揆が雪崩れ込んできます。

一向一揆は朝倉氏と組んでいた平泉寺にも攻めかかります。

平泉寺も抵抗をするのですが、10万を超す大軍に全山焼き尽くされます。

ここに北陸の一大信仰拠点だった平泉寺は灰燼に帰します。

加賀国の白山寺白山本宮は一向一揆とはあまり刃を合わせなかったようです。

はらはらだったでしょう・・・。

時代の波に乗った本願寺教団の前に北陸天台はなすすべがありませんでした。

 

白山信仰三馬場と廃仏毀釈の傷跡

かつて北陸の一大信仰拠点だった白山。

しかし、そこにも明治維新という時代の成果とひずみが押し寄せます。

廃仏毀釈です。

 

白山信仰と廃仏毀釈

明治維新は対外的には諸外国と渡り合うための国家機能の改革でした。

一方で、国内的には天皇中心の国家体制を構築する改革でした。

そこで行われたのが、神社と寺院の切り離しでした。

その流れの中で仏教は風当りが強くなります。

奈良では興福寺の僧侶がすべて春日大社に移り、五重塔は売りに出されます。

そんな中、江戸期にささやかな復興が進んでいた白山も大打撃を受けます。

まずは白山信仰の白山権現が廃止となります。

白山を囲む3地域の振興の拠点三馬場も大打撃を受けます。

白山寺白山本宮は廃寺となり白山比咩神社に強制的に替えられました。

霊応山平泉寺も廃寺となり平泉寺白山神社に強制的に替えられます。

白山中宮長滝寺は長滝白山神社と天台宗の長瀧寺に強制的に分けられました。

宗教や信仰とは、形が変わらない信用というものがあるように思います。

それが公的な力により形を変えてしまう廃仏毀釈。

 

日本人はなぜ、廃仏毀釈に奔らなければならなかったのか。

そこには鎖国で世界の潮流への再合流の焦りもあったでしょう。

追いつこうとすればするほど過去を捨てざるを得ない焦り。

そこに時代のストレスがあったように思います。

廃仏毀釈の傷跡は平泉寺白山神社境内の納経所にあります。

白山信仰と敗戦と戦後復興と今

さて、その明治維新による国家機能革命は敗戦により終わります。

1868年の明治維新と1945年の太平洋戦争敗戦。

そこには77年の歳月がありました。

 

そして戦後の復興です。

食糧自給率が70%を切った食糧危機。

戦時中の出生率をカバーするようなベビーブーム。

ベビーブーム世代は団塊世代として日本の消費を牽引します。

そして現在。2017年。

72年の歳月がたちました。

あと5年で明治ー戦後の時間を超えます。

明治の廃仏毀釈も遠い昔の話になりつつあります。

しかし平泉寺白山神社には廃仏毀釈の傷跡が今も残ります。

日本社会は経済成長もバブル崩壊で終焉を迎えました。

今、日本人が考え直すことは過去の清算だと思います。

太平洋戦争に関してもあると思いますが、その起因である明治維新にもあるでしょう。

私は日本各地で廃仏毀釈の清算をぜひ行ってもらいたいと思っています。

日本人は果たして本当に無神論者の国でしょうか。

私はそうではなく、信仰の形が外国と違うだけだと思います。

過去をあきらかにして未来を考える。

(彰往考来 大久保利通書)

それが今の日本人に必要なのではないかと思います。

 

廃仏毀釈で受けた打撃からの復興が必要なのは国家鎮護の仏教

廃仏毀釈は国家鎮護の思想を持つ古代仏教が最も打撃を受けています。

今、奈良の寺院は少しずつ復興が進み、伽藍の再建も進んでいます。

一方の国家鎮護の大本山は比叡山延暦寺ですね。

その比叡山と共に天台信仰を担ってきた地域が日本各地にあります。

白山を始め、大山・英彦山など著名な地域がまだ復興の途中です。

私はかつての信仰の拠点でまちづくりを進めることができないか模索しています。

白山信仰を支えた信仰拠点三馬場と廃仏毀釈について考えました。

 

白山信仰の三馬場を訪ねました。

 

白山比咩神社のアクセスと奥宮・御朱印帳とお守りについて

 

平泉寺白山神社の苔と御朱印と今に遺る廃仏毀釈の傷跡

 

長滝白山神社と白山長龍寺に参拝し御朱印をいただきました

 

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