伊勢国。
現在の三重県の伊賀地方・志摩地方を除く大部分に当たります。
伊勢の国は古代よりものなりの良い豊かな国です。
伊勢国の歴史について紹介します。
伊勢国の歴史と文化観光・・伊勢国と大海人皇子
伊勢国は古代から先進地で日本の中枢だった畿内に比較的近い場所に位置します。
また、伊勢国は農作適地の広がる国力の非常に大きな地域です。
その豊かな国力を通して何度も日本の歴史の表舞台に登場します。
まずは壬申の乱ですね。
勝利した大海人皇子の領地は美濃・伊勢だったと言われています。
大海人皇子は𠮷野から伊勢に脱出し兵力を結集します。
その勢いで当時滋賀県大津にあった朝廷を打ち破ります。
伊勢は大海人皇子と共に日本の歴史を回天させました。
伊勢国の歴史と文化観光・・・平清盛を支えた栄光の歴史
伊勢国を語る時に忘れてはならないのが平家ですね。
平家の中でも平清盛の家系は伊勢平氏と呼ばれています。
伊勢を根拠に活動し、その京との距離を活かして、関東に勢力を持つ源義朝を打ち破りました。
平清盛といえば、貿易と京文化の印象が強いですね。
畿内から少し離れている場所に十分に勢力となる領土を持っていた清盛。
伊勢は平家政権を支えたでしょう。
伊勢国の歴史と文化観光・・・南朝を支えた北畠氏の本拠地の歴史
鎌倉幕府滅亡後、日本は観応の擾乱という戦乱の日々を経験します。
その際、衰退著しかった南朝で唯一戦力を最後まで保持して残った北畠氏。
北畠氏は伊勢の中部・南部から伊賀南部・奈良の吉野界隈までを勢力圏に持ちました。
南朝が吉野を拠点に紀伊半島を根拠地に活動ができたのは北畠氏の力でしょう。
ちなみにこの北畠氏はもとは公家です。
伊勢国には何か華やかさが支持される土壌があるのかもしれないですね。
北畠氏とも縁のある結城神社
伊勢国の歴史と文化観光・・・最大勢力圏は奈良南部まで及んだ北畠氏
南北朝の合一後も南朝方の組織的勢力を唯一残して戦国時代を迎えた北畠氏。
その北畠氏は戦国時代中期にはなんと奈良県南部地方まで勢力を伸ばします。
志摩国を制圧し、大和国吉野の大部分を制圧しました。
ここに伊勢国司北畠氏の最大勢力圏が出来上がりました。
戦国期も伊勢の力は周辺を治める基礎力があったといえるでしょう。
伊勢国の歴史と文化観光・・・浄土真宗と一向一揆と真宗高田派
戦国時代は伊勢国の武士は北畠氏を盟主として勢力を作ります。
一方、庶民は浄土真宗と結びつきを強く持ちます。
伊勢国は徐々に織田信長の勢力下にはいります。
しかし、そこに長島の一向一揆が起きます。
伊勢国にはこの浄土真宗の一向一揆の他にも真宗高田派という教団があります。
現在の津市一身田にある専修寺ですね。
巨刹で古刹です。
織田信長と一向一揆の戦いの最中も独自の立場を保ちました。
伊勢国の歴史と文化観光・・・蒲生氏郷と伊勢商人
豊臣秀吉政権下。
松坂に近江国から蒲生氏郷という人物が領地替えで、引っ越してきます。
蒲生氏郷。
織田信長が惚れて娘と結婚させた逸材です。
蒲生氏郷は松坂の城下を整備し、後に会津若松に転封されます。
この時期同じように近江国から引っ越してきたのが三井寺界隈の地侍三井氏だったそうです。
その三井氏は読み方が関西圏の‘みい’から関東圏の‘みつい’となったと言われています。
蒲生氏郷の振興によって、伊勢国は商業逞しく成長していきます。
江戸時代、最も多い屋号は伊勢屋だったそうですね。
伊勢国縁のお店が日本で最も多かったのかもしれないですね。
伊勢国の歴史と文化観光・・・藤堂高虎と伊勢の国
徳川家康が関ケ原の戦いで天下を統一します。
そして苦労人の藤堂高虎が伊賀・伊勢に赴任します。
藤堂高虎は7人も主君を変えて生き残った苦労人といわれています。
家康から任された藤堂高虎の仕事は大阪の豊臣政権を討つ先鋒です。
伊賀から船を浮かべれば大坂までたったの60㎞なんですね。
そして本城を津に置きました。
伊勢国の歴史と文化観光・・・伊勢神宮と伊勢参り
江戸時代も末期になると政情不安から庶民は行動を開始します。
それが江戸期全人口の3分の1が押し寄せた年もあったと言われるお伊勢参りです。
当時は江戸と京を結ぶ東海道が東の交通網の中心です。
一方、西日本は大坂に発着する舟が起点となります。
日本中から多くの参拝客が伊勢を目指しました。
伊勢国の歴史と文化観光・・・幕末の桑名藩主
伊勢国は幕末に活躍する桑名藩があります。
北部の桑名地域ですね。
桑名藩最後の藩主松平定敬は兄の会津若松藩主松平容保と共に最後まで明治政府と戦います。
一方で、定敬は桑名で戦うことをしなかったため、桑名の町は戦災に遭いませんでした。
伊勢国の歴史と文化観光・・・伊勢は勢力が勃興する場所
いかがでしたか。
伊勢国は時代の中で一つの勢力が生まれて躍動します。
一つは伊勢国の北部に東海道が通っていることが挙げられます。
情報が入ってくるのですね。
一方で、その東海道は北部だけにしか通っていません。
中南部は比較的外敵に侵略される危険が薄いですね。
その中南部は大穀倉地帯でもあります。
この中南部は勢力が勃興しやすい条件を持っているのでしょう。
また、どの時代のトップも何か華やいだ印象を持ちます。
伊勢国の歴史と文化観光について紹介しました。