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明治維新150年の真実・太宰府の土佐長州薩摩藩の横並びの定宿の話

明治維新150年の真実・太宰府の土佐長州薩摩藩の横並びの定宿の話
福岡県太宰府市は観光地として全国から多数の観光客が押し寄せるスポットです。 そんな太宰府の観光所要時間はおおよそ1時間から2時間と言われています。 しかし、太宰府生まれの私はもっと面白い太宰府観光があると思っています。 地元出身者が考える太宰府観光。それは明治維新にあります。 明治維新の真実・太宰府の土佐長州薩摩藩の定...
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真田丸25話別離の感想を書きました。

真田丸25話別離の感想を書きました。
今日も外出で、録画を見る羽目になりました。 さて、真田丸25話別離の感想を書きます。 真田丸25話別離は豊臣秀長の死と千利休の切腹の話から始まりました。 この二人は秀吉の往年の名助手です。 秀吉は九州の大名大友宗麟にこのようなことを言っています。 「外のことは秀長に、うちうちのことは利休に」。 政権のNo2の秀長が政商...
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伊達政宗を年表や性格・逸話をもとに紹介します

伊達政宗を年表や性格・逸話をもとに紹介します
東北の英雄といえば伊達政宗ですね。 もう少し早く生まれていれば・・・という話をよく聞きます。 伊達政宗の伊達な性格についてはちょっとした逸話があります。 伊達政宗を年表や性格や逸話を紹介します。   伊達政宗の年表・・・真田幸村と同じ1567年生まれ 伊達政宗の年表から遅生まれを確認します。 伊達政宗の年表 ...
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日本の伝統行事・虫送りを紹介します

日本の伝統行事・虫送りを紹介します
今日は奈良で見つけた伝統行事、田の虫送りと農村社会について書きます。 最後までお付き合いください。 日本の社会はかつては農耕社会でした。 江戸期は日本人のほとんどが農業を主としていたでしょう。 農業とは自然との共生が欠かせません。 そして、現在は農薬の普及で農業は少し効率があがっていると言えるでしょう。 しかし、農薬が...
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真田丸25話別離のみどころ

真田丸25話別離のみどころ
近鉄橿原線に乗っています。 たまに電車に乗ると気分転換になります。 さて、真田丸25話別離のみどころを紹介します。   24話滅亡では豊臣秀吉による天下統一が完成しました。 外に敵がいなくなると身内争いが起きます。 秀吉政権は商業的色彩の強い政権です。 この時代、戦争は巨大化します。 すると、調達する物資の問...
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真田丸24話滅亡の感想を書きました。

真田丸24話滅亡の感想を書きました。
今日も忙しくて、2時間遅れで録画を観ました。 さて、真田丸24話滅亡の感想を書きます。 約20万の豊臣軍と小田原に籠城している約5万の北条軍。 小田原攻めは籠城戦でもあり、そんなに戦闘はなかったでしょう。 なので史実にはなくても多くの外交の駆け引きがあったでしょう。 しかし、高島政伸の氏政役は真に迫っていますね。 板部...
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奈良のおすすめランチ・リンコントロ・を紹介します。

奈良のおすすめランチ・リンコントロ・を紹介します。
奈良市ならまち元興寺界隈。 奈良の旧市街地として落ち着いた町並みが続きます。 元興寺極楽堂の東門から南へ4分。 奈良のおすすめのランチ店があります。 リストランテ・リンコントロ。 カジュアルなイタリア料理店。 奈良のおすすめランチのお店です。 奈良でイタリアン?! という印象があります。 最近は、奈良でも名物の茶粥だけ...
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豊臣秀吉について その2 中国大返し

豊臣秀吉について その2 中国大返し
豊臣秀吉について書いています。 その2は中国大返しについてです。 この頃の秀吉の名乗りは羽柴です。 羽柴秀吉。 織田信長から豊臣秀吉への新たな指令 秀吉は滋賀県長浜を貰って次なる指令を織田信長からもらいます。 それが中国地方の制圧です。 織田家の軍団性と各方面司令官 信長は戦線が広くなるにつれて、軍団性を取ります。 時...
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奈良女子大付属高校に「観光と国際社会について」講演しました。

奈良女子大付属高校に「観光と国際社会について」講演しました。
奈良には国立大学法人奈良女子大学付属中等教育学校という学校があります。 奈良では女子大付属という名前で呼ばれています。 なんでも中高一貫の学校のようで、高校入試は行っていないそうです。 私の友人にも何名か女子大付属の知り合いがいます。 みなさん、素敵な友人です。 今回は付属高校で先生をされている方からオファーをいただき...
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真田丸の登場人物の豊臣秀吉についてその1 長浜城主になるまで

真田丸の登場人物の豊臣秀吉についてその1 長浜城主になるまで
秀吉は織田氏の領地中村に生を受けました。 父は木下弥右衛門、母は仲(後の大政所)です。 弥右衛門は戦争で足を痛めてそれが元で早めに亡くなったと言われています。 そして母・仲は竹阿弥と再婚したと言われています。 竹阿弥は織田家に仕える同朋衆だったと言われています。 同朋衆というのは殿様の周りで文化的知識を補助するような人...
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